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2024.3.24 「絶望した時、神様に助けを求める方」(要約) ルカによる福音書9:37-43a

1:  ルカ9章から読み取る

 イエス様の変容の場面において、イエス様がモーセとエリヤとイエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期について話し合っておられたということがルカの特徴です。9:43後半からは、イエス様が二回目のご自身の死の予告をされた場面となります。イエス様の自らの死の予告は十字架を意味する言葉です。今日の箇所は、イエス様が栄光の姿に変えられ十字架へと歩みだしていく、その最初の出来事となります。

 

2:  マルコ、マタイと比べて見えてくるもの

 マルコでは父親とイエス様のやりとりが細かく記されています。ここでは父親の救いを求める必死さを感じるのです。また癒しの場面で、息子は「死んでしまった」とされ、そこからの癒しはイエス様の復活を垣間見ることができるのです。マタイでは、イエス様と弟子たちのやりとりに重きが置かれています。ルカは今日の箇所が、この前の箇所からの続きであることを強調し、最後の言葉から神の偉大さ、キリストの栄光を示すのです。 

 

3:   目を注いでください

父親は「先生、どうかわたしの子を見てやってください」と言いますが、この言葉は岩波訳では「目を注いでください」となっており、この言葉は「顧みる」という意味を持ちます。父親は、イエス様に「息子を顧みてください」と願ったのです。私たちは、イエス様に目を注いで頂くということを求めているでしょうか。私たちは神様に目を注いで頂く必要もないと思っていないでしょうか。私たちは、もはや自分ではどうすることもできない時になって、やっと神様に「目を注いで助けてください」「顧みてください」と求めるのではないでしょうか。

 

4:  悪霊からの解放

一人息子の悪霊からの解放が為されます。悪霊の最大の働き、目的は、神様と人間の関係を引き離すことです。悪霊はその存在を潜ませながら、神様と人間の関係を断ち切っていくのです。現代社会では「神様に助けを願い求める」という道が閉ざされてしまっていないでしょうか。私たちは「目を注いでください」と求めていきたいと思います。

 

5:  十字架による解放

 イエス・キリストは誰もが向かわなければいけない死へと歩まれたのです。そして十字架の死によって、死を滅ぼされたのです。私たちは、本当にどうすることもできないとされたとき、そこから神様の働きが始まると信じて、「神様、助けてください」と願い求めていきましょう。苦しみの中に、共に苦しみ、痛み、悲しまれるイエス・キリストがおられるのです。だからこそ私たちは絶望しません。どれほどの困難が目の前に立ちふさがろうとも、私たちには希望があるのです。(笠井元)