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2024.2.18 「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(全文) ヨハネによる福音書3:22-30

ヨハネによる福音書は2章でガリラヤの「カナの婚礼」、エルサレム神殿での主イエスによる「礼拝の劇的転換」の出来事、そして、3章に入ってイエスとユダヤ人の指導者ニコデモとの出会いと続きます。それぞれ3~4回に分けて取り上げる積りですが、それらを飛ばして、今朝は3:2230を取り上げます。バプテスマとヨハネとイエス様との関係について一応の決着をつけておきたいからです。特に、イエスについての「あの方は栄え、わたしは衰えねばならないという」バプテスマのヨハネの言葉は身が震えるような言葉です。この言葉に注目したいと思います。

 

1.バプテスマのヨハネのその後

 読んでいただいた聖書箇所は、「その後」という言葉で始まっていますが、ユダヤ人指導者ニコデモとの対話、そして、「神は、その独り子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(3:16)という有名な言葉が語れた

後ということになりますが、それほどの文脈の意味はないのだろうと思います。イエス様と弟子たちの働きにある程度の時間の経過があってのことというようなことでしょう。2223節は先回の説教で引用し、読んだ箇所です。イエス様と弟子の一行はヨハネとは別の場所でバプテスマを授けていたことが描かれています。マルコによる福音書では、「ヨハネが捕らえられた後」イエスの福音宣教が始まったとあります(1:14)ので、共観福音書では、バプテスマのヨハネが牢に入れられる前のイエスの行動は記されていないことになります。ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって捕らえられ、殺されたことは有名な物語ですので、少しだけ触れておきます。ヘロデが自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアを奪って結婚した不道徳をヨハネが諫めたためであったことがマルコ:6:1429節に記されています。ある宴会でヘロディアの娘サロメがセクシーなダンスを踊り、居並ぶ客人たちの喝采を浴びたので、ヘロデは調子に乗って、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」などと口走ります。するとサロメは母と相談して、アケラオ城に繋がれていたヨハネの首をと所望したのです。早速ヨハネは首をはねられ、その首をお盆に載せて持ってこさせたのでした。紀元28年頃の出来事です。お盆に載せられたヨハネの首は、ヨーロッパの絵画に好んで描かれています。悲劇ですが、この世界は理不尽で、ひょんなことで変わっていくという教訓でしょうか。フレーズ・パスカルの「パンセ」の一節ではありませんが、162の「むなしさ」の項ですが、「クレオパトラの鼻、もしこれが低かったら(つまり不細工だったら)地上の全表面は変わっていたことであろう」と言われています。歴史は偶然性あるいは偶発性、気まぐれで理不尽なことによって変わってしまうということの象徴として、ヨハネの首の絵が描かれるのでしょうか?

 

2.2つのバプテスマ 罪の穢れを落とすものか喜びへの応答か?(2527節)

それはさておき、25節では「ヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった」とあります。そのユダヤ人たちはヨハネの処にやってきて、「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証されたあの人が(イエス様のことですね)、バプテスマを授けています。みんながあの人の方へ行っています」と言います(2526節)。群れの中に分裂を惹き起こす嫌らしい「たれこみ」です。内容的に言えば、バプテスマの形は同じですが、神の切迫する裁きの前で悔い改めて清められるためにパプテスマを授けていたヨハネの考え方と、イエスの良い音信の到来、喜びの到来に心を開くバプテスマとの内容の違いがあります。現代の言葉で言えば、信仰の本質は神と出会うために穢れを清めることか、あるいは、神の恵みを喜び祝って生きることか?ということでしょうか。まあ、、現代の日本に生きる人々はこのような問いそのものに関心がないように見えます。あるいは、心の底ではこの問いを考えていながら、当面はこのような問いに蓋をして避けているのでしょうか。多少の経済的、社会的危機の時代には、あるいは、個人的に行き詰ったときには考えることになるのでしょうか?基本的問題が基本的問いにならない処に日本文化。いや、現在の世界の文化の問題があるのでしょう。しかし、人は超越的な神に出会う準備が必要なのです。

 

3.花嫁と花婿と花婿の介添人(29節)

 「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。」(29節)ここでイエスの到来が喜び、大いなる喜びであることが語られています。教会はキリストと共に生きる花嫁であるという隠喩(メタファ)があります。劉雯竹先生の神学部での修士論文のテーマが「キリストの花嫁としての教会」でした。確かに、パウロはIIコリント11:2-3で、「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまり、キリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。」と語っています。ここで教会はひたすらに心を寄せるお方としてキリストを慕い求め、婚約が整いやがてキリストと結ばれる花嫁として考えられています。パウロは自分自身をその花嫁の父、あるいは友人、介添人であると考えているようです。劉先生の論文のテーマは教員たちの間では最初評判が良くありませんでした。「結婚」という秩序で物事を考える固定的な閉塞感、そして、女性にのみ、純潔さであるとか処女に拘る性差別の問題が匂うからです。そのような問題を旨く批判しながら、キリストを一心に慕い求める劉先生の思いがみごと修士論文に形をとりました。

それはともかく、ここではバプテスマのヨハネは花婿キリストを指し示す「介添人」として自分自身を描いています。そして、2728節に従来の主張を繰り返しています。「天から与えられるのでなければ、人は何も受けることはできない。わたしは『自分はメシア=キリストではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証してくれる。」今日の文脈で表現すれば、「わたしヨハネは花婿ではない、あくまでも花婿キリストと花嫁である信じる人々の介添人である」ということでしょう。

 

4.このような理解の仕方の問題性 あまりにも人間的解釈か?

 しかし、このような理解の仕方は適切で、良かったのでしょうか? このように聖書の考え方を問うことは問題かも知れませんが、意味ある問いかけであると信じます。イエスからしたら兄弟子のようなヨハネです。弟弟子にあたるイエスに期待したヨハネでもありました。しかし、やがてヨハネは獄に捉えられ逼塞させられているのに、世界が変わらず、理不尽さや不条理が相変わらずまかり通っている世界に生きています。神の子が到来したのに、彼は捕らえられ、殺される運命、そのような彼の存在そのものが理不尽さと不条理の印です。彼は深い疑問に悩むことになります。マタイ11:2を読んでみましょう。「ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか?それとも、ほかの方を待たねばなりませんか」(マタイ11:2-3)。歴史世界は過酷です。確かにイエスの評判は高いです。しかし、自分は牢に囚われている。神の子キリストが到来しても依然としてこの世の不正義がまかり通り、貧富の差は歴然としており、憎み・争い・戦争、殺し合いは尽きない。歴史世界の何が変わったのかという嘆き、悲しみの問いであると思います。これに対して、イエスは「貧しい者は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」と述べました。あのヨハネが躓いたのです。

 イエスの弟子たちとヨハネ、そしてヨハネの弟子たちとの確執はイエスの死後の初代教会にも続いています。使徒言行録18:2427の物語を掻い摘んで読んでみます。コリント教会の二代目アポロが紹介されているのですが、彼はアレクサンドリア生まれの雄弁家であり、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたとあります。しかし、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。…アポロがコリントにいた時のことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません。パウロが、「それなら、どんなバプテスマを受けたのですか」というと、「ヨハネのバプテスマです。」と言った。そこで、パウロは言った、「ヨハネは、後から来る方、つまり、「イエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。人々はこれを聞いて主イエスの名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。」使徒言行録の著者はこのようにキリスト教信仰がヨハネの弟子を絡めとるような、肯定的に言えば、包み込むような教会像、ある意味、エルサレムから広がるキリスト教会に聖霊の管理権を与えるような「狡いというか多少安易な歴史像」を描いています。そしてルカ福音書のクリスマス物語ではヨハネはエリサベトとザカリアの子とされ、イエスより六ヶ月年上の親類とされています。このような物語の展開はキリスト教会とその信仰には良いでしょう。しかし、悲劇的なヨハネとその弟子たちには幸いな解釈であったのでしょうか。そのような疑問、バプテスマのヨハネへの共感と嘆きを考えることは余りにも人間的でしょうか?このような問いには大きな意味があることを確認しながら、今朝の説教の中心に移ります。

 

5.あの方は栄え、わたしは衰えねばならない(30節)

 もし、ヨハネが本心からこのことを言ったとしたら、そして、ヨハネ福音書はそう言っているのですが、この言葉は人間の最も崇高な、最後で最大の人の言葉でしょう。まず、「ねばならない」ということに触れておきます。Deiとはdeōから由来しますが、deōは縛られていることを意味します。神による縛り、神が定めた運命であると言う意味です。神による「必然」という意味です。初めからそうなっていたというより、振り返ってみるとそうだったのか、それが神のみ旨だったのかという意味です。印象的にはマルコ8:31に登場します。「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥され殺され、三日の後に復活することになっている(dei)。」この「なっている」「ねばならない」がここヨハネ3:30に登場していることに私は感動します。ヨハネは、悲しいけれども神の定めとして受け入れたのです。「あの方は栄えること(auxanein 増大する)、わたしには衰えること(elattousthai 減少して、小さくなる)が決められ、割り当てられている。」北海道にある不登校児、多少精神的疾患を持つ子どもたちの施設を運営していた人の言葉が印象的でした。「不登校、自分の病気を『運命』として受け入れた子どもたちは強い」というものです。ヨハネの扱い方への疑問を経由してこの最後の言葉を考えますとヨハネはまさにこの位置に立つことで浮かばれるというか、救われたとも言えるのではないかと思います。まさに、イエスもヨハネも共に「天から与えられるもの」によって生きているのです。「花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。(chara chairei dea tēn phōnēn tou nymphiou)だから、わたしは喜びで満たされている(hē chara hē emēpeplērōtai)。ヨハネは「喜びで喜ぶ」、「だからわたしの喜びは満たされる」と告白しています。確かに人生は過酷です。しかし、イエスの到来によって喜びの根拠が与えられたのです。私たちの喜びはひたすら主イエス様の栄光を祈り求め、行動することに結びついているのです。私たちの祈りと行動は喜びと結びついています。このことを受け留めましょう。(松見俊)