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2024.2.4 「主イエスへの信従『来なさい、そうすれば分かる』」(全文) ヨハネによる福音書1:35-42

今朝読んでいるヨハネによる福音書1:3642の主イエスの弟子たちの招きの場面は余りにも簡潔で、「余白」が多すぎるようにも感じられます。イエスの後について言った2人の男性に「来なさい。そうすれば分かる」とイエス様は言われ、そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た」とあります。原文はもっと簡潔で、「来なさい、そして あなたがたは見るであろう。」「彼らはこうして行って、イエスが泊まる場所を見た。」です。私たちの「想像力」を誘発するこの単純な描写の持つ力強さと、主イエス様を「よく見て、見極めること」がないとこんなに単純について行ってもよいのだろうかと疑問や危険も感じられます。

1.この場面の時間設定

まずこの物語の時間枠組です。「その翌日」と書かれています。この時間表現は29節でも「その翌日」と言われ、43節でも「その翌日」と言われ、2:1では、「三日目に」と言われています。今朝はこの時間表現の意味については深く考えずに、この弟子の招きの物語がイエスの先駆者であるバプテスマのヨハネが水で行っていたバプテスマ運動の文脈の中で語られていることを確認しておくだけにしましょう。また、聖霊によってバプテスマを授ける「神の子」「世の罪を取り除く神の小羊」とヨハネが語ったすぐ後、その「翌日」ということになるのでしょう。ここではヨハネ福音書は直線的に語り「脇道」にそれません。

2.イエスとイエスの弟子による水のバプテスマ運動

 それゆえ余り脇道に逸れたくないのですが、脇道というよりヨハネによる福音書を少し先に進んで、イエスとイエスの弟子たちによる水のバプテスマ運動のその後に触れておきます。ヨハネ3:2324を読んでみましょう。「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、バプテスマを授けておられた。他方、(バプテスマの)ヨハネは、サリムの近くのアイノンでバプテスマを授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、バプテスマを受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。」いわゆる共観福音書では触れられていないことですが、イエスとイエスの弟子たちが水のバプテスマを授けていたというのです。この指摘は、イエスはその活動の初期には、バプテスマのヨハネの弟子、弟分であったことを暗示しています。イエスがバプテスマのヨハネの弟分であることは、ヨハネの方が偉いことになってしまい、キリスト教会には余り好ましくない情報なので、逆にそうだからこそ、歴史的には、このような筋書きが駅私的事実であったろうと推定されます。4:12によれば、「イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、バプテスマを授けておられると言うことが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、「バプテスマを授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである ―」と言い訳もされていますが、神の審判への方向転換よりも喜びの福音への方向転換の方が、人に共感を与え、イエス様の人柄もまた多くの人を惹きつけていたのでしょうか。バプテスマのヨハネはガリラヤ湖から死海に注ぐヨルダン川の西岸アイノンでバプテスマを授け、イエスと彼の弟子たちは、分かれて、ずっと南のユダヤでバプテスマを授けていたことになります。

 以上のことを念頭において今朝の箇所に目を向けてみましょう。

3.12弟子の一人ヨハネ 神あるいはイエスの栄光の背後に退く者

 「ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。」その一人は40節-41節にも登場するアンデレです。彼は、兄弟シモンを主イエスの処に連れて行くのですが、現在、このような身内の者への証、個人伝道を「アンデレ伝道」と言ったりします。彼はまた、6:8にもちらっと再登場しますが、そこでは、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます」と紹介してパンの「奇跡」に一役買っており、人を紹介することの上手なアンデレの面目躍如です。

 ここでまた少し横道に入ります。バプテスマのヨハネは彼の弟子の二人と一緒にいたのですが、一人はアンデレですが、もう一人の名は登場しません。聖書を良く読まれる方は、その人が一二弟子の一人のヨハネであったことがお判りでしょう。ヨハネとその兄弟ヤコブとはシモン・ペトロと並んでイエス様の三大弟子です。ヨハネは「イエスの愛しておられた弟子」と表現され、21:20では最後の晩餐の時にイエスの胸元に寄りかかっていた(2120)弟子であると言われています。つまり、ヨハネによる福音書では一貫してこの一二弟子のヨハネは自分を神あるいは神のみ子イエスの背後に退かせています。そして、また、復活の最初の証人としてのペトロの背後に退かせています。伝説では、彼は最後まで生き残り、エフェソで死んだとされ、「愛の使徒」とも呼ばれています。ここでは神あるいはイエス様の「ご栄光」の背後に自分を退かせているわけです。私は朝食の祈りを妻と共に祈りますが、自分と子どもたち、そして、孫たちが神のご栄光のために生きられるように祈ります。それは、つい自分のことが前面に出てしまいがちな私自身を戒めるためでもありますが、一二弟子の一人のヨハネもバプテスマのヨハネもイエス様を指さし、自分を背後に退かせているのではないでしょうか。少し、意識的に横道に逸れましたが、これからヨハネ伝を読んでいく際に必要な横道であると思います。

 

4.「来なさい。そうすれば分かる」

 さて、いよいよ今朝のメッセージの中心に近づきました。バプテスマのヨハネは弟子の二人と共にいる時、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言ったと言われています。「見る」と言う言葉が何度か登場しますが、29節は現在形で語られていると先回の説教で言いました。36節では「良く見る」(embrepsas)という動詞の完了形です。翻訳は「見つめた」とそれなりの工夫をしています。42節でも同じ単語が用いられ、今度は主イエスご自身がシモンを「見つめて」と言われます。38節はイエス様が付いてくる二人を見て(theasmenos)とも言われ、実は39節の「そうすれが分かる」(opsesthe)も、「わかるであろう」となっていますが、実は原語は「見るであろう」です。イエスが泊まっている場所を「見た」と違う処でも「見た」(eidan)という動詞が用いられていますが、ここでは、「わきまえ、認識する」という意味です。こうして、言葉を重ねて「見る」ことが語られているのでが、たぶん、「心の目」でもしっかり見て判断するということが「見る」という数々の言葉で言い表されているのでしょう。皆さんは、何を、また、誰を見て、分かるでしょうか?今日、人の目だけを気にして、いや、人の目もきにせずに、自分の利益や地位を守ろうとする卑しい政治屋が横行しているように思います。彼ら彼女らは何を、誰を見ているのでしょうか?隣人と共に隣人のために生きられたイエスを見て、ものごとをしっかり見て生活したいものです。来週の211日は「信教の自由を守る日」です」。日本社会を神話に基礎づけ、天皇崇拝で多くの人々を傷つけた歴史に無反省な社会です。安易に「クニ」や「天皇」に自分自身を重ねない、主体的な人間でありたいものです。主イエスは言われます。「来なさい。そうすれば分かる。」

5,彼らはついて行って、イエスのもとに泊まった

 信仰は、「ついていくこと」、服従と切り離せないものです。私の2歳下の弟は、ある特別集会の決心カードに「神は信じるが、従いません」と書きました。それを読んで、笑ってしまいました。しかし、信じるが、従いませんということは相手が神様ですから、信じてもいないことです。ボンヘッファーは「信じる者だけが従順であり、従順な者だけが信じるということである。」と言っています。(「高価な恵みと服従」『キリストに従う』森平太訳 41頁)そうでないとキリストの命がけの恵みが「安っぽい恵み」となってしまうと言います。「服従」という言葉は現在では人にあまり好まれませんので、「ついていく」「一緒に泊まる」(menō)の方が心に響くかも知れません。皆さんは好きな人と一緒に居たいと思いますか?皆さんはイエス様と一緒にいたいですか?この服従は安心なことです。なぜならイエス様は皆さんの姿を良くご存知だからです。イエスは字名をつけるのが上手です。兄弟アンデレに導かれたバルヨナ(ヨハネの子)・シモンをイエス様は「ケファ」、ギリシャ語では「ペトロ」=「岩」という意味の字名を付けられました。岩のように固い信仰、岩のように頑固で直情型のシモンを良くご存知でした。肝心な処で三回イエス様を拒むこともご承知でした。そこまで知って下さっているのかというどこかほっとするような関係の中に、信じて、従う世界があるのです。「弟子」とは「まねする者」「まねぶ者」という意味です。ここは一見冷たく響くような「従うか、従わないか」ではなく、むろん、従う以外にないのですが、信じて、従うこと、「まねぶ」お方があることは幸いなことです。

6.単純明快さの意味

 ヨハネ福音書の叙述は単純明快(simple)で、だからこそ「含み」と言うか「余白」の多い叙述です。こんなに簡単に呼びかけについて行ったらいわゆる「カルト」につかまりそうです。しかし、心の動き、逡巡を書けば限りなく言葉が必要でしょう。私の父親は基本的には寡黙な人でした。まあ、長男の私とは良く話をしましたが、余計なことをしゃべりませんでした。貧乏な学者の子、いまでは創立190周年を迎える順天中学・高校の教師の子として生れ、祖父は子沢山で、複雑で家族です。父は三人目の妻の長男ですが、実は、長男ではありますが、初めから数えれば八男なのです。祖父は兄の松見文平という人の陰で苦しい学校経営をし、関東大震災、度重なる火災で神田の校舎を失いながら兄を立て、自分は背後に退いて生きたのでした。その祖父の子である父は成績が良かったのですが、家が貧しく高校卒で就職しました。震災で神田の家が焼けて、杉並区に引っ越したのですが、その家には祖父母他兄弟姉妹、同居人がゴロゴロでした。このような「しがらみ」から抜け出し、ブラジルに移民したかったとも聞きました。ですから父が「自分の想い」などを言い出したら、いくら言ってもきりがないのだとも思っています。「二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。」「来てみなさい。そうすれば分かる。そこで彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。」ここには、マルコ1章にあるように、アンデレとシモンは漁師であった」とか「網を捨てて従ったとか、有名な「人間をとる漁師にしよう」などという約束や説明もありません。ヨハネによる福音書のこの単純明快さの中に、結局は、信仰は信じて、従うということ、イエスは「神の独り子」として「世の罪を取り除く小羊」であるとして、また、「キリスト」として信頼し、従うに足るお方であるとしか言いようがないのでしょう。ここにヨハネによる福音書の不思議な魅力があるように思います。この単純明快さがカルトにならないためには、十字架に向かうイエス様、この世のしがらみを受ける肉体をもって来られたお方をよく「見つめること」が重要です。

 

 私は19歳の時、東京三鷹市にある仙川キリスト教会で米国人宣教師カーチス・アスキュー先生の説教に応答して讃美歌を歌う中で会衆の前に進み出て献身の決意をしました。その一年前同じ日にバプテスマを受けた賀史山房子さん、現在はオッチョさんという本名で木村公一牧師と夫婦になっている女性でが、先日ある人の葬儀の時にお会いし、教会の玄関先で、「松見さんはあの時、仙川教会で、前に進みでてからずっと一筋、イエス様についてきたんだよね!」と言われてしまいました。たぶん、父と違いオシャベリの私が自叙伝を書けば説教よりはるかに面白く、二三百頁くらいになるでしょう。しかし、自分の人生ひと言でいえば、「イエス様を見て、聞いて、信じて、従ってきた」としか言いようはないのでしょう。そして、皆さんも結局同じように、紆余曲折はあったとしても一筋の道、幾つかの決断があって今の皆さんがおられるのですが、結局は主イエスに信頼し、従って来たとしか言いようもないのでしょう。このような皆さんの道がこれからの護られ、祝福されるように祈りましょう。(松見俊)