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2023.11.12 「神の霊を頂いている存在」(全文) Ⅰコリントの信徒への手紙6:19-20

皆さん、おはようございます。今日は、幼児祝福礼拝となります。久しぶりの日曜日の幼児祝福礼拝となります。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、幼稚園の行事は、あの手この手で形を変え、行ってきました。その中でも、家族礼拝、特別伝道礼拝、そしてこの幼児祝福礼拝は、2019年までは日曜日に行っていたのですが、2020年からは人数制限を行い、土曜日に行うこととなっていました。

今年、2023年になり、幼稚園の、家族礼拝、キリスト教特別礼拝は2020年からと同様に、土曜日に行っていますが、この幼児祝福礼拝は、日曜日に行うこととなりました。大きな理由として、幼稚園の子どもたちの成長を保護者や教師だけではなく、いつもお祈りをしてくださっている教会の皆さんとも一緒に喜んでいきたいという願いから、今年度から日曜日に戻すことになりました。今日は、このように、教会の皆さん、そして幼稚園の保護者の皆さん、そして先ほどまで一緒にいました子どもたち、先生たちと共に、礼拝の時を持つことができていることを心から、神様に感謝したいと思います。

 

1:   神の聖霊が宿っている

聖書はこのように言います。【あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿で】(Ⅰコリント6:19)す。子どもたち、保護者の皆様、そして、いつもこの教会で共に礼拝を行っている教会の皆様。すべての人間に、神様は聖霊を送って下さり、私たちは、神様の聖霊を受けているのです。聖霊とか、何とか言いますと少し難しいかもしれませんので、簡単に言いますと、キリスト教の神様は、ご自身が、私たちの、この体の中に来られるほどに、私たちを愛して、大切にしてくださっているということです。今日は、幼児祝福式ですが、子どもたちは、神様に愛されている、大切な存在なのです。そしてまた、同様に、皆さんも神様が命を懸けて愛されている、大切な存在なのです。これが今日、皆さんに聖書が語る言葉です。

 

2:   存在価値の基準

皆さんは、自分の好きなところ、また、嫌いなところなどあるでしょうか。今は、「自己肯定感」という言葉がよく使われるようになりましたが、皆さんは自分の存在を肯定する時に、どのような根拠を持っているのでしょうか。何を持てば、私たちは自分の存在を喜ぶことができるのでしょうか。また親として考えるならば、もちろん子どもに「あなたは大切だ」「素晴らしい存在だ」と伝えたいと思うと思います。ただ、これもまた、なかなか伝わりにくいものです。私たちは、子どものどのようなところをもって、「あなたの存在は素晴らしい」と思い、伝えることができるのでしょうか。

これは、私の友人の話ですが、彼の両親は同じ職業で、とても社会的地位のある職業でした。そういう意味で金銭的、社会的にも、何の問題もないと思っていました。ただ、家では両親が、どっちが偉いのかでケンカをし、いつもどのようにしたら偉くなれるか、偉くなるために誰かを陥れることなど、そんなことばかりを話していたそうです。もちろん、彼の存在、評価も、成績のみで判断され、生きることがとても辛かったということでした。彼にとって、生まれた時から、両親がそうであれば、この世の中すべてがそのようなものなのだと思ったのでしょう。小学校のとき、この世界に嫌気がさして、生きる希望を失い、自ら命を絶つことすら選ぼうとしたほどでした。そして、生きる意味を求めて、教会に来たのです。このとき、彼は小学生ながらに、自分が、そのような、能力、成績、権威、地位、富などでしか評価されないことがとても苦しかったそうです。私たちは、何をもって自分、そして他者の存在を認めているのでしょうか。

 

3:  最も大切なものとは

あるアンケートで「あなたにとって一番大切なものは何ですか」というアンケートをとったところ、一番多かったのは「健康」ということでした。ただ、この「健康」」ということについて調べてみますと、WHOでは健康の定義をこのようにしています。「健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病のない状態や病弱でないことではない」ということです。このように聞きますと、健康であることは、実のところとても難しいことだと思うのです。むしろそのようにすべてが完全に良好な人などいるのでしょうかと考えてしまいます。皆さんはいかがでしょうか。皆さんは健康ですか。それとも不健康でしょうか。

人間は、いつか、必ず死を迎えます。神様の御許へと召されるのです。そのような私たちが、どうすればこの人生に意味を見出せるのでしょうか。この人生において、一番大切なものとは何なのでしょうか。そして、私たちの生きている意味、その価値はどこにあるのでしょうか。

 

4:  神様に買い取られた存在 

このような私たち人間に、聖書はこのように言います。

【知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。】(Ⅰコリント6:19-20

神様は、御子、イエス・キリストという代価を払って、私たちを愛する決断をされたのです。神様は、ただ、全知全能で、何でもできる中、それこそ、完全という存在で、できないことはないという、そのような余裕があり方として、私たちに「あなたを愛している」「あなたは生きている意味がある」と言っているのではなく、その御子の命を懸けて、私たちを愛されたのです。キリスト教の教会では、どの教会にも十字架があるのですが、十字架は、イエス・キリストが十字架の上で死なれたこと、この神の御子の死を表します。そして、それは、神様が私たちを買い取られた、キリストの命をもって、私たちを愛されたことを表しているのです。

私たちは、神様の命を受けて、生きる存在を得ているのです。これが私たちに与えられている、命、存在、価値が肯定される最大の理由です。私たちは、自分の弱さを見る時に、「自分はダメな存在だ」と思ってしまうことがあるかもしれません。また子どもの弱さ、出来ないこと、わがまま、色々なことから、その子どもの存在を受け入れられなくなってしまうこともあるかもしれません。 しかし、そのような私たちのすべてを含めて、神様はすべての人間の存在を、一人ひとりの存在を、大切な一人としてくださっているのです。 神様は、私たちの弱さも含めて、私たちのうちに来て下さっているのです。

 

 

5:  自分の体で神の栄光を現しなさい。

 私たちは、今日、ここで、私たち自身の存在の素晴らしさを、もう一度確認しましょう。 そして、私たちは、隣にいる、子どもたち、家族、そして今隣に座っている方々、そのすべての人間の存在の素晴らしさを、一緒に喜びましょう。聖書は20節で「自分の体で神の栄光を現しなさい。」と言います。今、世界では、ウクライナ、ガザ地区で戦争が続いています。人が人を傷つけ、その存在を否定し、その存在を奪いあっています。ここに神の栄光があるのでしょうか。

 私たちは、神様の聖霊を頂き、生かされています。命を懸けて、私たちを愛した、神様の愛が注がれているのです。私たちは、自分の思い、人間の自分勝手な思いに囚われるのではなく、神様の愛を現わす者として生きていきたいと思うのです。今日、ここから、私たちは、そのような道を歩き出しましょう。愛されている者として、共に生きる道、共に愛する道を選び取っていきたいと思います。(笠井元)