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2023.9.27 「主を誇る生き方」 Ⅱコリントの信徒への手紙10:7-18

現代聖書注解では、この箇所の題を「自己弁護の始まり」とし、パウロが二つの方向から自己弁護をしているとします。7~11節は、自分自身についての誤った印象を正すことを、そして12~18節では、神が定めた限度内で働くべきことを論じているとするのです。また、別の注解書では「キリストのもの」(7)という言葉から、その一点に集中して記しています。今日は、まず「キリストのもの」ということに目を向けたいと思います。

 

1:  キリストのもの

 パウロを批判する者たちは、「自分たちこそがキリストのもの」だと主張していたのでしょう。「自分はキリストのもの」。これは信仰告白とも言えるでしょう。誰かが誰かに「あなたの信仰は間違っている」とは言うべきではないでしょう。しかし、パウロを批判する者たちは「パウロたちはキリストのものではない」と主張していたのです。

パウロは【自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。】(Ⅱコリント10:7)と言います。【だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。】(Ⅱコリント5:17)「キリストのもの」とは、イエス・キリストに結ばれ、新しい命を頂いた者、キリストを誇りとする者です。

 

2:  自己推薦

 パウロを批判する者たちは「自己推薦」をしていました。(Ⅱコリント10:12)仲間同士で評価し合い、比較し合っていたのです。自己推薦する者は、本来、共に感謝して喜ぶこと「キリストのもの」とされることから、むしろ他者を陥れる思いとなってしまうのです。この社会は、「自分はキリストのものである」と告白するときに、他者に向かって「あなたはキリストのものではない」と言うように誘惑します。共に喜ぶことから、お互いを比較し、批判し、自分を誇る者へと誘うのです。

教会・礼拝とは、そのような誘惑の中で、ただ神様の一方的な恵みにより「自分たちはキリストのものである」と、共に告白するところ・行為なのです。私たちが礼拝することは、共に、神様を神様として新しい命を頂くため、共に、神様の恵みを心から感謝して、その恵みに生きる決心を再度するための時なのです。

 

 

 

3:  パウロの自己弁護① 誤った印象を正す

パウロは、前半、7~11節は、自分自身についての誤った印象を正すために語ります。(Ⅱコリント10:9-11)パウロの手紙を読む限り、確かに「手紙で力強く語る」ということは間違いないと思われます。最も古いパウロの描写はこのようなものとなっています。「小柄で頭がはげ、足がまがり、健康そうで、しかめ顔をし、鼻が高く、しかし慈愛に満ちたパウロ…時には人間のようにも見えたが、ある時には天使のような顔を持っていた(パウロ行伝〔パウロとテクラの行伝とも呼ばれる。三章〕、聖書外典偽典7、新約外典Ⅱ、教文館、所収)(現代聖書注解『コリントの信徒への手紙2』E.ベスト、山田耕太訳p.160

「天使のような顔を持っていた」と言うことから見れば、パウロは決して弱々しくはなく、カリスマ的な存在であったとされています。ただパウロは雄弁術を身につけておらず、また、興奮したり、強いストレスを持つとき、話が支離滅裂になることがあったともされています。パウロは、このように自分を批判する者に、どちらも変わることなく自分であり、自分の中心には「キリスト」がおられると語るのです。

 

4:  パウロの自己弁護② 神に任命された者として

後半12~18節は、神様が定めた基準以外のものを持つべきではなく、神が定めた限度内で働くべきことを論じているとするのです。(Ⅱコリント10:12-18)(ガラテヤ2:7-9

ガラテヤ2:7~9では、パウロがエルサレム教会において、異邦人に対する使徒として任命されていることを語ります。パウロは13節では【わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。】(Ⅱコリント10:13)と言います。

パウロは自分たちは異邦人伝道を担う者として神様に任命されており、その任命によって、14節に【実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。】(Ⅱコリント10:14)とあるように、コリントにキリストの福音を携えてきたことを語るのです。

 

5:  主を誇る

最後に、パウロは【誇る者は主を誇れ】(10:17)と言いました。パウロを批判する者たちは、自分を誇り、他者を卑下しました。コリントの教会は、そのような者たちの言葉に惑わされていたのです。そのようなコリントの教会に、パウロは「誇る者は主を誇れ」と強く語ります。

 

私たちは、自分が誰に、どこで、どのように働くように導かれているのか、考えていきたいと思います。ローマ12章ではそのことを教えています。(ローマ12:1-8)それぞれ与えられた賜物を受けて歩みたいと思います。その形がどのようなものであったとしても、ただ「主を誇り、主の栄光のため」仕えていきたいと思います。(笠井元)