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2023.5.31 「キリストに信頼して、心を広く開く」 Ⅱコリントの信徒への手紙6:11-13、7:2-4

1: 今日の箇所についての説明

 いくつかの手紙を編集したとされるⅡコリントですが、2:14~7:4までが一つの手紙とされています。内容はパウロの使徒性の弁明です。ただ6:14~7:1までがここに置かれている理由は不明とされています。今日の手紙は、第一コリントの執筆後、第三次伝道旅行までの間に執筆されたものであり、トロアスか、マケドニアで、A.D.56年~57年頃に執筆されたと考えられています。

 

2: 心を狭くしたコリントの人々

 パウロはコリントの人々に「自分は心を広く、開いている。あなたがたは今、心を狭くしてしまっている。どうか、心を広くしてほしい。心を開いてほしい。」と語るのです。

 心を狭くしていることはなかなか自分自身では気が付かないものです。人間は、自分が明らかに間違っている中で指摘をされても、その指摘を受け入れることができないことが多々あります。自分が正しいと思っている中で人に指摘されて、自分が間違えていることを認めていくことは、もっと難しいことでしょう。

コリントの人々に対して、パウロ自身も心を閉ざすこともできたでしょう。私たちが伝道し神様を信じた人々から「あなたが教えた福音は信じられない」と言われたとすれば、私たちが心を閉ざすこともあるかもしれません。ただ、狭い心に対して、狭い心で向き合うこと、怒りに対して怒り、憎しみに対して憎しみ、罪に対して罪をもって対応をすれば、そこに起こるのは、分裂であり、破滅です。

 

3: 心を広く開く

 心を狭くするコリントの人々に対して、パウロは心を広く、開き、対応をしたのです。心を広く開くとはいったいどういうことでしょうか。実際の空間の広さとして、旧約聖書の時代は広い土地を得ること、広い道が開かれることを一つの恵みとしていました。【イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。】(創世記26:22)心の広さについては詩編でこのように賛美しています。【いかに幸いなことでしょう、あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。】(詩編84:6)広い心とは、自分とは違うものを受け入れる心であり、自分とは異質で反対する思いをも受け留める心でしょう。広く浅い関係でいることを広い心というのでもないのです。逆に小さいものにも目を向けることができる心、深い心。広く、深い心こそ、本当の「広い心」ということができると思うのです。どこまでも広く、どこまでも深い心を持っておられるのはイエス・キリスト一人でしょう。広い心を持つとは、キリストの愛に触れ、キリストに従うことです。パウロは、キリストに従う者として、コリントの人々を受け入れたのです。 

 

4: 神様に信頼して自由に語る

 パウロは、7章2節にあるように、コリントの人々を何かに利用するためや、報酬を得るために働いていたのではないのです。パウロは心の基にキリストを持っていたからこそ、自分の感情に囚われることなく、自由に福音を語ることができたのでしょう。パウロの自由な言葉を、ここでは「率直に語っている」としました。パウロの信頼は、コリントの人々にではありません。パウロの信頼は神様にありました。パウロは自分に与えられた神様の恵みを、大胆に、自由に語ることができたのです。

 

5: 心を開いてください

パウロは、【わたしたちに心を開いてください。】(Ⅱコリント7:2)と言います。これがコリントの教会の人々に対するパウロの願いの中心です。

この言葉はキリスト者に向けられて語られています。私たちは自分が心を開いているか考えてみたいと思います。心を広く、深く開かれている方、イエス・キリストを中心に持っているでしょうか。隣の人の心が開かれることを願っているでしょうか。教会で福音に触れながらも、離れていった方に心を広く開き、向き合おうとしているでしょうか。私たちは、ここから一歩出ていき、まだキリストに出会っていない者、心を閉ざしている方の心が開かれるように願い祈っているでしょうか。

 今、お互いが理解し、受け入れられないとしても、いずれ、神様がその道を開いてくださると信じて、祈り続けていきたいと思います。

 

6: あなたがたによって慰められ、喜びに満ち溢れている

  パウロは最後には願いを込めて、「あなたがたに厚い信頼を寄せて、あなたがたを誇りとする」と言います。パウロは心を変えてしまったコリントの人々に、何度も厳しい言葉で語ってきました。それでも、最後には「あなた方を信頼する」と語るのです。これがパウロの思いです。

 この言葉からは、パウロにとって、コリントの教会は、どこまでいっても自分の子どものような教会、愛する人々だったという思いが伺えます。同時に、主イエスは変わらずコリントの人々を捕えていてくださっているとキリストへの信頼を感じるのです。わたしたちもまた、さまざまな危機に陥ります。間違った道にも進むでしょう。それでもただイエス・キリストに信頼をもって、お互いに心を開き、お互いの心が開かれることを信じて、祈り合っていきたいと思います。(笠井元)