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2023.3.29 「心の覆いは取り去られる」 Ⅱコリントの信徒への手紙4:1-6

1: わたしたちは落胆しません

パウロは、この伝道の働き「務め」は神様にゆだねられたものであるから「落胆しない」と言います。スポーツの選手がケガなどによる予想外の引退を余儀なくされた時、そのあと何をしてよいのかわからなくなるということがあるそうです。これまで打ち込んできたことを、突然取り上げられることによって、自分の人生を完全否定されているように感じるのです。今日の言葉で言えば「落胆」してしまうということです。「胆を落とす」こと、それは「心を失う」こととされます。私たちが自分の何かを生きる土台とする時、その何かが失われることによって、生きる土台を失うことになります。

パウロは【わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられている】(Ⅱコリント4:1)と言います。コリントではパウロへの不信感が大きくなっていました。その中で、パウロは、自分が神様に従い歩んでいるのは、ただ神様の憐みによって召されたからだと言うのです。そしてだからこそ、「自分は落胆しない」、「どれほど迫害されたとしても、どれほど不信感を持たれたとしても、神様を信じる信仰、神様から福音を伝えるように遣わされているという心は失うことはない」と言うのです。

パウロは、この神様の一方的な憐れみによって召されたのだから、ただその憐みに応えて生きるのみだと語るのです。

 

2:  神の言葉を曲げない

2節では「卑劣な隠れた行いを捨て」とありますが「捨てる」となると今までは、そのようにしていたように聞こえるので「避ける」という言葉の方がよいのではないかとされています。

コリントの教会では、律法に固執し、律法によって人を縛りつけ、裁く者たちが現れていました。そしてその人々が、パウロの語る福音は律法から外れており、勝手に神様の言葉を曲げ、隠れて、悪賢く人々を惑わしていると非難していたのです。

コリントの教会では、実際にそのような人々を信じて、福音を信じたはずの者たちがパウロたちを非難するようになってしまっていたのです。パウロにとっては、コリントの人々が自分の伝えた福音から離れてしまうことは、とても落ち込むこと、落胆することだったでしょう。

そのような中、パウロは、どれほどの非難をされようとも、自分たちは、神様の御言葉を曲げることはしないと言うのです。【卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。】(Ⅱコリント4:2)私たちも「神の言葉を曲げない」で福音を宣べ伝えていきたいと思います。ただ福音に忠実であることを求めていきたいと思います。

 

3: 心の覆いは取り去られる

 3節、4節において、パウロは、自分たちの使徒性、福音を否定する者たちに対して、その者たちは、心の目がくらまされ、覆いがかかっており、滅びの道をたどるとするのです。

 今日の箇所の少し前3章ではこのように言います。【このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。】(Ⅱコリント3:15-16

この世の神、この世の多くの誘惑は、人間の心に覆いをかけ、人間と神様の関係を壊そうとします。神様との正しい関係にいないとき、私たちは滅びの道をたどる者なのです。

私たちは、自分自身がこの世の誘惑によって、心に覆いをかけられ、福音の光を見ない者とされていることを覚えたい。そして、だからこそ、その覆いが取り去れるために、何度でも主の方に目を向けていきたいと思うのです。

 

4: 闇に光が輝く

【わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。】(Ⅱコリント4:5

私たちが宣べ伝えるのは、救い主イエス・キリストです。キリストは滅びの道をたどる人々、心が覆われている者のために、この世に来てくださり自らが滅びの道を歩まれたのです。

【「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。】(Ⅱコリント4:6

神様は、イエス・キリストをこの世の光としてこの世に送って下さいました。キリストは私たちの心のうちに輝いて、闇に光を、絶望のうちに希望を与えられたのです。私たちは、心の中にある闇、この世の闇、そこに光としてきてくださった、キリストによる無限に広がる神様の愛を忘れることなく覚えたいと思います。どれほど暗闇にあっても、必ず光が与えられる、希望は私たちを欺くことはないのです。(笠井元)