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2023.1.22 「幻をわれに」(全文)  使徒言行録10:9ー16

1、  希望の根拠を考える

 2023 年が始まりました。新しい年を迎えても、ロシアとウクライナの戦争や 新型コロナウイルス感染症、急激なインフレに関する暗いニュースばかりを目 にする毎日において、落ち込んだり、不安を抱えたりする方もおられるでしょ う。新年早々に何人もの大学生から将来のことなどについて相談を受けました。 世の中がざわついて不安を感じる学生・若者が確かに増えたように見受けられ ます。学生たちと面談する中で、「あなたは今、どこに希望を置いているのか」 と、私自身の信仰も問われているように感じます。

 頭の中ではあれやこれやと考え月日が過ぎて行く中、先週皆さんと共に東福 岡教会の創立 70 周年を迎えました。70 年の歴史は、どのようなものであった か、その歩みを理解しているつもりではありますが、70 周年誌の教会関係者記 事や信仰の証を読み、また先週教会に展示された、教会員皆様の若い頃の写真 を見る中で、教会の歴史と共に歩んで来られた皆様の人生の物語こそが、この 70 年の歴史を、より味わい深いもの、生き生きとしたものにしてくれたのだと、 そう感じたのです。長い年月を経てもなお、ここで信仰生活を送り続ける方が いるという事実が、私を励まし、力づけています。そして、皆様の存在が、キ リスト教信仰に生きること、教会で信仰生活を送ることって一体どういうこと なのか、と、信仰生活を送ることの本質と意味を考えるように、背中を押して くれました。

 私の中には、長く教会と関わってこられた方と同じような、この教会に対す る愛着心や執着心というものはないのかもしれません。しかし、神様の導きに よってこの教会に身を置いている限り、教会や皆様のことを他人事とは思わず、 隣人のように関わっていくことが求められているでしょう。長く教会に通われ た方であれば、お分かりだと思いますが、教会は「来たる者あれば去る者あり」 というところです。人との出会いや別れを繰り返す教会。私たちはここで、親 しい関係にある人とそうでもない人、意見や考えが一致する人と合わない人、 好きな人と苦手な人、良く会話を交わす人と距離が遠く感じる人など、様々な 人との出会いや別れを経験しています。そして、私たちは確かにこのような一 つ一つの出会いの中で、神の御心を求め、その声を聞き、信仰について学ばせ ていただいているのです。

 

2、見えないものに目を注ぐ

 先日、ある学生と面談して、次のように質問されました。「なぜ大学で学ぶ必 要があるでしょう。はやり学歴のためでしょうか。教育を受ける目的が分から なくなってしまいました」。「学歴」、確かにそれが就職の条件の一つと見なされ ているのしょう。しかし、学歴のために、もっと言えば誰かと競争して有利に 立つために教育を受けるというのであれば、その学びは空しいと感じるのは私 だけでしょうか。日本キリスト教学校同盟理事・桜美林学院理事長の小池一夫 氏が、教育を受ける本質について、10 月号キリスト教学校教育新聞の中で次の ように語っています。

 「人が勉強し、教育を受けようとすることは、自らを高めようとする行為で す。見えるものを見ることは、当然のことですが、学習や研究を重ねることに よって、肉眼では到底見えないようなものを見ようとするための手掛かりや術 を付与することが教育の本質である。」

 私たち人間は、見えるもののみで物事を認識し、判断しがちです。しかし、 大切な物事を見逃したり、見落とたりしてはいないのか、そのような問い、あ るいは見えないものを見ようとする心を持たせてくれるのが、教育の役割なの だと思います。そしてそのような教育の機会は、学校という場だけでなく、家 庭や職場、教会などの場所でも用意されていると思います。皆様は、教会での 信仰生活を通して、何を見てこられ、今は何を見ているでしょうか。

 イエス・キリストは、弟子たちと共に歩みを進められる間に、「見る」ことそ のものを問い直し、社会や宗教の当たり前を問い直すことを自ら実践し、教え られました。そして、十字架につけられ、復活し天に昇られた後も、聖霊を通 して同じ働きを続けられたのです。

 見えないものを見せてくれる聖霊。当時、イエスの弟子や使徒たちが聖霊を 通して見せられたのは、「幻」というものでした。幻って何でしょう。日本語辞 書「広辞苑」では、幻は、「実在しないのに、その姿が実在するように見えるも の」と解釈しています。しかし、聖書に出てくる幻には、神がそれによって人 間にご自分の意思を示されるという積極的な意味があります。神から幻を示さ れて、その幻のために生きた人たちのことが聖書には多く紹介されています。

 新約聖書の使徒言行録では、「幻」という言葉は最も多く出ています。先ほど 読んで頂きました聖書の物語に登場する人物、イエスの弟子ペトロは、ある日 ヤッファという町で幻を見ました。天から大きな布が降りてきて、その中に沢 山の獣、地を這うもの、空の鳥が入っていたのを見たというのです。それを見 ると同時にペトロは、「身を起こし、屠って食べなさい」という声が聞こえまし た。「屠って」と訳されたギリシャ語は、祭儀的な供え物を殺すのではなく、食 べるために殺すことを意味します。ペトロは非常戸惑いました。なぜなら、幻 3 の中で示されたものはすべて、ユダヤ人の食物規定では食べることを禁じられ ているものでした。これに従う敬虔なユダヤ人として、ペトロは当然その命令 を拒むわけです。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた者は何一 つ食べたことがありません」(10:14)。すると、また声が聞こえました。「神が 清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(10:15)と。この ことが三度も起こりましたが、ペトロは最後までその幻の意味が分からず、今 見たのは一体何だろうかと、ひたすらその意味を考え込んでいました。

 

3、幻を見る

 聖書に記されているように、神はペトロに幻を与えると同時に、それを解く ヒントとして、コルネリウスという人との出会いを与えられました。コルネリ ウスはユダヤ人ではなく異邦人でしたが、10 章1節から読むと、彼はペトロよ り先に「幻」を見たのです。コルネリウスは、「ペトロと呼ばれるシモンを招き なさい」と幻の中で示され、その声に聴き従って、3人の使者をペトロのとこ ろに送りました。使者たちがペトロの家を探し当て、門口に立った時、神の霊 がペトロに次に為すべきことを伝えます。「三人の者があなたを探しに来ている。 立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこ したのだ」と。ペトロは急いで出発し、コルネリウスの家に着いたとき、彼は やっと、自分の見たあの幻の謎が解けたのです。そしてペトロはみんなの前で 幻の意味を伝え、次のスピーチを行いました。

 「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を 訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、 どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示し になりました。・・・神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」 (10:28,34)ペトロは、幻と違う民族の人との出会いを通して、キリスト教の 救いに民族的国境はないと、初めて宣言なさったのです。そして彼はさらに続 けてこう宣言します。「あなたがたが認めようが、認めるまいが関係なく、イエ ス・キリストは、すべての人の主なのです」(10:36)と。

 東福岡教会に連なる私たちは次の 70 年に向けてどのような歩みを進めたら 良いのでしょうか。私たちは神の御心を知るために、幻を求める必要がありま す。もちろん、その幻はペトロがかつて見たような不思議なものでなくても大 丈夫です。なぜなら、私たち一人ひとりの人生、その人生の物語、日々経験し ていること、そのすべてが神から与えられた「幻」だと私は思っているからで す。良くも悪くも、これまで経験してきたこと、今直面していることをすべて 心に納め、思いを巡らし、人との出来合いを通して深く考え、解釈する。その プロセスの中で、私たちは見に見えない神の愛を見出し、出会う一人ひとりに キリストの救いを伝えていく。これこそが、私達の使命ではないでしょうか。

 

4、出会いの中で

 昨年七月、安倍元首相が銃撃された事件をきっかけに、旧統一協会の問題が 浮上し、その関連ニュースが半年以上も報道されています。旧統一協会の信者 に取材してきた日本人記者石戸諭氏は、より効果的なカルト対策について、次 のように示唆に富む言葉を語りました。「カルトを弱体化させる効果的な方法は、 異質な他者や弱い立場の人を差別・排除せず、社会には多様な受け入れ先があ ることを示し続けることだ」と。

 私たちの世界、社会には様々な人がいます。自分と違う宗教や考え方を持つ 人もいれば、異なる言語や文化、価値観に生きるもいます。私たちは、このよ うな人たちと出会う時に、心から相手のことを受け入れることができるでしょ うか。社会的な性別の違いによって不平等な扱いをされた女性、言葉の暴力や 差別を受けている性的マイノリティの方、不当解雇やパワハラなどの不当扱い を受けている外国人労働者、行き場を失った難民やホームレスの方々・・・そ のような差別・排除された方達の受け入れ先に、教会はなれるのでしょうか。  

 私達の福音宣教の幻、その幻を解くヒントは、これから出会っていくであろ う、人に隠されているのだと思います。東福岡教会は、幻を、出会う一人ひと りを、大切にする教会であってほしいと願います。

 石戸氏は、『自分たちは絶対善の正しい存在、相手は絶対悪』という思考こそ がカルト的な思考なのだ」と指摘しました。ここにいる私たちの中には、完全 で正しい者は一人もいません。しかし、イエス・キリストがそんな私たちを許 し、愛し、命と救いを与えてくださいました。神様の愛に感謝しながら、他者 と出会っていき、他者とともに生きてまいりましょう。(劉雯竹)