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2022.1.30 「我ら」の信仰を貫く(全文)  マルコによる福音書2:1ー5

1、それでもなお前へ進む

 年が明けても世界中でオミクロン株への感染が急速に拡大しています。私たちは生活や仕事、学校の学びなどで諸制限を受けながら、我慢と忍耐の日々を続けています。コロナ発生から3度目の年度末を迎えていますが、このパンデミックは、いつ、どのようにして終わるのか、私たちにはまだ分かりません。今私たちが経験しているこの状況は、長いトンネルのようなものです。真っ暗で、何も見えない不安と、トンネルの先に光が見えるという希望の狭間で生きる人が多いのではないでしょうか。その中で疲れを覚える人も多く見受けられます。感染症の流行が始まって2年が経過する中、最近よく耳にする「コロナ疲れ」という言葉があります。皆さんもニュースなどで聞いたことがあるでしょう。コロナ疲れは具体的な定義がありませんが、人はコロナによる様々な制限を受けることでストレスを感じたり、窮屈さや精神的疲れを覚えたりする心の状態のことです。具体的には、外出時にマスクをつけることや、外出自粛を続けること、オンライン礼拝・授業の実施、様々な活動の中止、人との会話・飲食制限などから生じるものと考えられます。そんな疲れを覚える自分と正しく向き合いながら、疲れた自分を労わりながら、思いを新たにして、皆様、皆様とともに新年度に向けての歩みを進めていきたいと思います

先週の臨時総会では、2022年度計画案、年度聖句と標語について報告されました。執事会では、コロナ危機が依然として続いている中、聖句や標語の変更はしないことが決まりました。ただし、総会でも報告されましたように、一箇所だけの変更がございます。前年度の「神の恵みの下に留まる」という標語に、「共に」を付け加え、「共に神の恵みの下に」あるいは「神の恵みの下に共に」留まるというものに変わります。「共に」を付け加えるのは、標語を見る人に、あなたは一人ではない、あなたは信仰共同体の中に生きる存在であることを知って覚えてほしいという願いが込められているように思います。

 

2、四人の信仰

さて、皆さんは、「共に」と聞くと、誰のことを一番に思い出されますか。正直に言って、私は自分この質問は、まるで、律法学者が「私の隣人とは誰ですか」とイエスに問いかけた質問と似たようなものだと感じています。「私の隣人は誰ですか」「私は誰と共に歩みますか」と自問自答すれば分かるのですが、問いかけに答える主語は「私」ですので、関係性を重視し、その影響を受ける誰ものが主観的に、「好きな人」、「お世話になった人」、「自分を認めてくれる人」、「同じことを趣味とし、信仰とする人」、「気が合う人」などを選びたがるでしょう。いかがでしょうか。皆さんの選択肢の中に、「共に」という枠の中には誰が入っているでしょうか。冗談でお聞きしますが、皆さんの選択肢に、私や笠井先生が入っていますか。答えを求めませんので、大丈夫です。

今日は、新年度の標語に付け加えた「共に」というキーワードを念頭に置きながら、聖書の物語に示された神の恵みをご一緒に学んでいきたいと思います。

四人の男が中風の人を担いで、イエスのところへ運んでいったというお話は、今まで教会学校や礼拝などの様々な場面で何度も聞いてきた有名な物語です。新約聖書ではイエスの教えるよりは、イエスによる奇跡の働きのほうがより注目を集めています。しかし奇跡の物語の中、なぜかこのお話だけが特別な感じがするのです。新約聖書の癒し物語の主要登場人物は、何かの病を抱える当事者とイエス・キリストです。しかしこの物語には第三者の介入があることに注目したいと思います。この介入の方法は実際私たちの常識を覆すものであったので、病人癒しの奇跡は、神の奇跡であると同時に、人間の行動によって起こされた奇跡として読み取ることもできます。

物語の世界をもう少し掘り下げて考えてみましょう。「中風の人」は、聖書協会共同訳では、「体の麻痺した人」と訳されています。原文ギリシャ語の「パラリュティコス」は、「不随の者」を意味し、実際の病名は厳密に確定できません。脳出血や脳の血管になんらかの障害によって身体が麻痺状態になったと考えられます。いずれにせよ、病人は、身体がうまく動かせない状態、歩けない状態にあったのは事実です。今まで、この登場人物のことを深く考えずに物語を読んでいましたが、3年ほど前に、左足が骨折して初めて、怪我して自由に動けない人の気持ちが分かりました。それは身体的にも心理的にも大変苦しく辛いものでした。松葉杖を使うのに慣れず、普段歩いて10分かかる道は1時間かかっていたり、定年退職し初めて日本を訪れた両親のために何もしてあげられず、逆に車椅子を押してもらったりして、周りの人を頼る生活をせざるを得ませんでした。自分の不注意で怪我人になった私は自責の念に駆られ、プライドも傷つけられてしまいました。「なぜ親が日本に来たこのタイミングで、なぜ仕事の全体像がまだ把握できていない、職場にも完全に溶け込んでいないこのタイミングで、こんな失敗をしてしまったのか」と自分を責め続けました。当時は、身体的な辛さというより、心的ダメージの方が大きかったです。そのような状態が半年間続いて、少しずつ回復に向かいましたが、今日の物語の登場人物は、恐らく何十年間ずっと病気に悩まされ、身動きが取れないままの状態だったかもしれません。更に当時のユダヤ社会では、病気は罪の結果であると見なされていたため、病気の人は、体の苦しみだけではなく、自分に責められ、周りの人々に責められ続ける存在でした。差別され疎外され、汚れた存在として生きざるを得ない運命を引き受けた彼は、恐らく自分を諦めたのかもしれません。しかし彼の運命がある人たちとの出会いのおかげで変わったのです。苦しみから、暗闇や差別から回復することを心から願っている4人の男が現れたからです。その男たちの願いはどれだけ強いものだったか、その行動を見て分かります。人々がぎっしりと入った部屋の中にいるイエスに近づかせるために、階段を使って他人の家の屋上まで登り、その屋根をはがし、穴を開け、上から病人をそこから吊りおろしました。当時パレスチナの家の屋根は横梁の上に角材を並べ、その上に木の枝や柴を編み、粘土で塗り固めた平屋根だと言われています。彼等の一連の行動を見て、そこでまでする必要はあるのか、他にも方法があるのではないかと、率直に思いました。私と祖母が暮らした田舎でも、同じような素朴な家があります。自分の家の屋根に登って遊ぶような腕白な子をよく見かけましたが、他人の家の屋根で遊ぶ子どもは殆どいませんでした。誰かに見られたら、非常識な子と怒られてしまうからです。しかし、4人の男は本当に面倒なこと、また非常識なことまでしてしまったのです。彼らの中にある願いと覚悟はとても強いものだったのでしょう。「外で待っとけば、イエスが必ず出てくる。外で待とう!」、「別に行かなくてもイエスはいつか彼の家を訪問し、病気を癒してくれるかもしれない」、「僕たちが助けなくとも、彼を助けてくれる人がほかにいるでしょう」…そんな言い訳がたくさんあったはずなのに、病人の苦しみに寄り添い、彼の回復を願い続けた彼らは、今はただ、「この瞬間、彼のためにできることをやり尽くそう」「文句を言われても一緒に耐えよう」「他人の目を気にするより、一刻も早く彼を苦しみから解放してやりたいんだ!」ということを考えている…その願いと行動こそが、イエス様に認められた「信仰」というものだったではないでしょうか。「イエスは彼らの信仰を見て」とありますが、「信仰」のギリシャ語は「ピスティス」ですが、一般的に誰かを「信じる」「信頼する」時に使う言葉です。ただし、「ピスティス」は信頼できる対象に対する内的な態度だけでなく、言動や行為によって外的にも表現されます。彼らは大声でイエスを信じる信仰告白をしたわけではありません。しかし万難を排して弱き小さいものをイエスの元に連れていくその行動が、まさに内なる信仰を表しているのではないでしょうか。4人の男は誰だったか、聖書には一切言及されていません。病人の友人や家族だったかもしれないし、別に深い関係はなく、ただ彼を助けたい人の集まりだったのかもしれません。私は後者であると信じたいです。イエス様もその集まりに加え、「子よ」と優しく呼びかけ、罪赦しの宣言をなさいました。罪を赦してもらうために何の捧げものも、儀式も行わなかった彼を赦す宣言は、イエス様にとって相当の覚悟が必要だったと思われます。当時の宗教指導者たちに批判され殺されるかもしれないので、命の危険を冒すまで、彼を自責の念から、周りの差別から、暗闇から解放してくださったのです。

 

3、ホームレス支援活動を通して

 広島にいた頃、広島夜回りの会というホームレス支援の活動に参加していました。当時は教会の副牧師だったため、主任牧師と同じ活動に参加するのは当たり前で、最初は別に何も考えずに、いや、むしろ違和感を抱えながら同行しました。「月2回の支援活動を行っても、現実は何も変わらないじゃないか」、「路上に迷っている人と深く関わりたくても、すぐ心を開いてくれないし、支援物資だけを受け取って帰るような関係はむなしい」、「ホームレス支援活動は結局、他人を助ける自分をかっこよく見せるためのものじゃないか」と思っていました。周りからも「あなたたちは甘やかしてるから、彼らは何もしないのだ」と批判を浴びることもありました。しかし活動を続けていくうちに、生活の相談をお願いしたり、家族が亡くなってからやる気が出なくなったと本音を切り出したりする人が少しずつ増えてきました。「こんばんは!いつもありがとう!」とお互い笑顔で言い合えるような関係を築くこともできました。無力さや悩みを抱えながらも、自分なりに懸命に生きているホームレスの方々に見倣うべきことは多く、そして何より、彼女、彼が幸せになったらいいなと願うようになった自分の心の変化に気付いて、嬉しくなりました。

 現在、中洲川端の冷泉公園では、「ゆるまちネットワーク」というホームレス支援団体の活動が行われています。時間があるときの参加です。コロナの影響で失業する人が増え、昨年12月は60名のホームレスの方々が支援物資を受ける列に並んでこられました。活動責任者のTさんは、支援物資を集めたり、悩みや相談を聞く窓口になって、生活保護を受けたいと申し出た人を手伝ったりして、忙しく走り回っています。寒い冬の夜、毎回の活動に60人分の豚汁を作ってくるTさん、自ら支援物資を届けてきてくれる他の支援団体のスタッフ、二人の幼い子どもを連れてきてボランティアに参加して来られたお母さん、私は、この人達の姿を通して、人を愛し抜く神の姿を見るのです。

 

4、「我ら」の信仰を貫く

「共に」神の恵みの下に留まることって、隣人の幸せを願う、誰かのために何かをする、自分のできる最善を尽くす、理不尽なことにはNOって言う、弱い立場におかれている人の味方となる……そのようなことではないでしょうか。たとえ自分の賜物や持ち物が少なくても、誰かのために差し出すことができれば、五つのパンと二匹の魚を祝福してくださったイエス様は、同じように私たちの捧げものを祝福してくださると信じます。共に――「我ら」の信仰を貫いていきましょう。(劉雯竹)