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2021.10.10 「勧告と祈り:その一人を得るために」(要約)  マタイによる福音書18:15-20

24日には麦野達一先生をお迎えして特別伝道礼拝が持たれます。祈って準備しましょう。今朝は、一人一人を大切にする教会のあり方を考えてマタイ181520を選びました。15節の「兄弟(姉妹)を得たことになる」という言葉に「一人」を「一人一人」を大切にする主イエス様の眼差し、想いを感じます。

1.小さな一人への主イエスの眼差し

マタイ181節~5節には、弟子たちは「天の国が到来したら、弟子の中で誰が一番偉いか」と論じあっていたあり様を描いています。そのように論じあう弟子たちに対して、主は一人の子どもを呼び寄せ、この幼な子のように父なる神を頼る者こそ天の国に与ることができると宣言されました。この幼い「一人」が強調されています。6節以下は、イエス様を信じる「小さな者」を躓かせる災いを語り、10節以下は迷い出た一匹の羊を追い求める羊飼いの譬えを語ります。ここでもこの「小さな一人」が強調されます。

2.罪ある人間

しかし、イエス様が大切にされる、その一人が同時に問題を抱える一人の人間でもあるわけです。ここで15節の「罪を犯す」とは、法を犯す行為が意味されています。しかも教会の仲間の中での問題です。そのような場合は、その人を尊重して、その人を辱めないために、彼あるいは彼女の問題を多数の人たちに吹聴せず、その人と一対一で話し合い、隣人愛と連帯感の表明としての釈明の機会を与えるよう勧告しています。

3.その人を「得たことになる」

兄弟あるいは姉妹を「得たことになるという表現が心に響きました。この言葉は、一般的には、商売をして、「儲けること」を意味しますが(マタイ25:1617参照)、神の国へと人を獲得すること、救いへと導くことを意味しています(Iコリント9:1923参照)。自分の正しさが証明されるため、相手をへこますために行動しないで、その人を「得るために」行動しましょう。

4.縁を切ること?:処が、話は違う結論に向かいます。その人と縁を切ることです。その時でさえ、実はその人を得るための行動でなければならないのです。

5.祈りと復活の主イエスの臨在の中で

 

 そこで、主は痛みのある教会を祈りへと導きます。19節は「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」と約束されます。また、20節には「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」と宣言されています。祈りにおいてだけではなく、二人または三人がイエスの名によって集まる処に復活の命の主であるイエス・キリストが共におられるのです。インマヌ・イエスです。この2節がマタイ18章の鍵語です。人は皆この慰めを求めているのです。そのような想いで、24日の特別集会や11月の子ども祝福式、世界祈祷週間、待降節、クリスマスに向かう日々を過ごしましょう。(松見俊)