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2020.6.14 「神の業を求めて」(要約) ヨハネによる福音書9:1-9

1、世界の現状と教会の使命

 新型コロナウィルス感染症が全世界で猛威を振るっています。感染症拡大で、改めて浮き彫りに なったことも多くあります。私たちの世界と社会が多様な人々の存在と働きによって支えられてい るということと、私たちの世界は、社会的な弱者に対して大きな負担を不平等に与えていることな どです。実際に 2000 年前、イエスキリストが生きた時代も同じことが起きていました。 

 

2、イエスの生きた時代 

 イエスの生きた当時、パレスチナはローマに統治されていました。多くのユダヤ人たちは偽りの 権力者に反抗したため、権力者であるヘロデは強力な警察国家を作り、反抗する者を捕えて厳しい 処罰を与えました。ユダヤ社会は、重税に苦しみ、貧富の差が激しくなり、物乞いがあふれるように なりました。ユダヤ人たちはメシア(救い主)が来られるのを切に待ち望んでいましたが、宗教界は 一般民衆を教える状態にはありませんでした。指導者たちは自分の集団を作り、互いに争っていま した。その宗派の一つであるファリサイ派は、神から授かった律法・諸規定を守ることによって救 いが得られると思い込み、それに違反する人のことを罪人とされました。 

 

3、安息日の癒し

 このような背景の中でイエス・キリストが登場し、安息日に生まれつきの目に見えない人を癒し ました。その彼は偏見を受けていました。昔では、病気や障がいを持つ人は、罪を犯したからそんな 目に合っているのだと決めつけられましたが、イエス様は「罪を犯したからではない。神の業がこ の人に現れるためである」と、病と罪との関係を断ち切りました。イエス様は、罪の中に生まれたも のとされ、相手にされない盲人、物乞いをする人の心と体を癒し、大切にしてくださいました。その ところにまことの安息があると感じます。「神の業」とは、病気を癒すということではなく、弱くさ れ苦しむ人々に、人間として生きていけるという救いと希望をもたらすイエス・キリストの愛の生 き方だと思います。 

 

4、神の業を求めて 

 新型コロナウィルスが誰に対しても平等に襲いかかっています。そんな危機の中で、差別や社会 的弱者への過度負担といった「人災」を避けるために、神様の知恵と愛の働きを、今改めて追い求め たいと思います。教会に集まり、主にあっての兄弟姉妹と出会うことにより、まことの安息(平安・平和)を味わうことができるように、共に神の業を祈り求めていきましょう。(劉雯竹)