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2020.6.7 「子どものようになるとは?」(全文) マタイによる福音書18:1-5

1:  弟子たちの天国理解

 今日の個所は、まず弟子たちが「誰が天の国で一番偉いのか」とイエス様に問いかけるところから始まります。この時の弟子たちの天の国の理解はどのようなものだったのでしょうか。わかるのは、天の国にも「誰かが偉い」とか「誰かが偉くない」といった競争があると思っていたということです。この世は競争社会となっています。すべてのことにおいて、競争がなされています。会社でも学校でも、または兄弟、家族の中でもです。そして、人よりも少しでも高く、大きく、強い者なり勝つことを求めているのです。この世のような競争が、天の国にもある。その考えを前提として、弟子たちは「誰が、一番偉いのですか?」と尋ねたのです。つまり、弟子たちにとっての天国とは、この世の延長のようなものであったということです。イエス様は【「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」(18:3)と言われました。

 イエス様は、福音伝道の最初に「天の国は近づいた・・・悔い改めなさい」と教えられました。悔い改めることとは、これまでの生き方から方向転換をして、新しく生きる道を歩き出すということ、「心を入れ替える」ことです。そこに天の国が表されるのです。天の国とは、神様と人間、そして人間と人間の関係のなかにあるのです。この関係が愛によって完全に結ばれるとき、そこに天の国、神の国が実現するのです。

 

2:  子どもを呼び寄せた

 イエス様は、この天の国を理解するために、一人の子どもを呼び寄せました。子どものようになることの一つとして、この呼び寄せに素直に応える子どもの姿があると思うのです。この時、この子どもは、悩むことも、反抗することもなく、素直にイエス様の言葉に応答しました。神様はその命をかけて、人間である私たちに「あなたを愛している」ということを示されました。私たちはすべての人間が神様の祝福と恵みのうちに入れられる権利をいただいたのです。その中で求められているのは、人間の応答です。 

 人間は自分の力で生きることを望んでしまうのです。神様によって正しい者とされなくても、自分の力で、正しく生きていくことができると思い込んでしまう。だからこそ成功すれば傲慢になり、失敗すれば自己嫌悪に落ち込んでしまうのです。神様は私たちを呼び寄せています。私たちは、この時子どもがイエス様の呼びかけに素直に応答したように、私たちもまた、神様の愛に素直に応答していきたいと思います。

 

3:  信頼すること

 また、もう一つ学ぶことができるのは、子どもの「信頼する」という姿です。子どもは、自分は守られていると信頼しています。信頼することができることは「自由」を得ることにつながります。子どもが親にうそをついたり、反抗することは、ある意味、信頼感があるからこそできるということができます。

 そして、私たち人間は、神様の御子イエス・キリストを長男とした、神の子どもです。人間の親の愛は不完全ですが、神様の愛は完全なものです。神様の愛は、私たちの期待を裏切ることはありません。私たちは100%信頼しても大丈夫なのです。私たちはこの神様の完全な愛の関係につなげられています。そして、ここに私たちに「自由」が与えられているのです。

 私たちがどれほど道を踏み外しても、間違えたとしても、神様の愛は変わることはないのです。そしてだからこそ、その自由の中にあって、私たちは「・・・しなければならない」という思いから「・・・していきたい」という気持ちに変えられていきたいと思います。「愛されている」「生かされている」この最大の恵みを受けた者として、私たちは神様との信頼関係の中で自由を得て、何をすることができるでしょうか。皆さんは何をしたいと思うでしょうか。考えてみましょう。

 

4:  弱さを認めて

 子どものようになることとして、最後に学びたいと思うのは、子どもの「弱さ」です。子どもには一人では生きていけないという現実があります。子どもは弱い存在、そして間違えをする存在です。パウロはこのように言いました。Ⅰコリント14:20【14:20 兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。】

 幼稚園では、3才児の年少さんは、まだまだ思ったことを全部言ってしまうことが多くあります。

嘘をつくことを推奨するわけではありませんが・・・嘘をつくことは、たいていの人が4才までに覚えることとされ、人間としての大きな発達の一つです。「相手の考えていることを想像し、自分が何を言えばどう思うかを考えて、言葉を発する。」それは、一つの大きな発達です。小さい子どもは「嘘をつく」ことを考えもしないのです。そして、時にはその言葉が相手を傷つけることもあるのです。子どもは弱く、間違いをしてしまう存在です。

 イエス様は、「子どもようになりなさい」と「子どものような弱い存在になりなさい」・・・つまりそれは、「神様の前にあって、あなたは弱い存在であることを認め、受け入れましょう」と言われているのです。今、私たちは新型コロナウイルスという大きな困難の前に立たされています。この中で、わたしたちは、人間の弱さ、無力さを教えられています。これほど医療技術が発達したはずの現代ですが、この病気の前に、何もできず、多くの人々が死んでいくのです。私たち人間は無力な者なのです。子どものようになるとは自分自身が、弱く、無力で小さな者であるということを受け入れることなのです。

イエス様はこのように言われました。【18:4 「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。18:5 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」】(4-5)イエス・キリストは自らを低くして、私たちを受け入れてくださいました。私たちはまず、神様に受け入れられ、愛されている自分を受け入れましょう。そして、だからこそ、神様の愛に触れたものとして、神様の愛にへりくだり歩んでいきたいと思います。そこに、神様による愛の国が始まるのです。神様の愛に、素直に応答していきましょう。私たちがへりくだりを持って、自分を愛し、隣人を愛していくとき、そこに天の国、神の愛の支配が広がっていくのです。(笠井元)