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2020.5.17 「見えないものに目を注ぐ」(要約) Ⅱコリントの信徒への手紙4:16-18

 私たちは現在コロナウイルス感染を防ぐために共同の主日礼拝を持てていません。しかし、私は不思議な経験をしています。412日のイースター礼拝を境に、「目に見えていた兄弟姉妹の交わり」が突然「目に見えなくなってしまった」と思いましたが、実は、今まで見えていなかった兄弟姉妹の豊かで温かい交わりがあったし、今もあることが見えるようになったという経験です。今朝は「見えないものに目を注ぎます」というメッセージをパウロから聞き取りたいです。

 

1.わたしたちは落胆しない

 パウロは「わたしたちは落胆しません」と明言します。ギリシヤ語で落胆とは「こころを失う」というような意味です。「胆」(キモ)が落っこちてしまう、落としてしまう、面白い言葉です。なぜ、「落胆しない」と言うのでしょうか。私たちの日常の生活に現れる自分の弱さ、突然見舞われる理不尽な困難に落胆する自分がいるからです!しかし、「わたしたちは落胆しません」。脆い土の器ではあるけれど、同時に、その器に、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光、宝、命の息を吹き入れられて生かされているからです。

 

2.二種類の人間

 パウロは二種類の人間について、あるいは二つを比べています。「外なる人」と「内なる人」、「一時の、過ぎ去るもの」と「永遠のもの」、「軽い艱難」と「重たい栄光」、「目に見えるもの」と「見えないもの」です。「外なる人」とは外面的な朽ち逝く肉体的なものだけではなく、神の恵みから新しく生まれていない人です。ですから、魂も心も「肉」なのです。「内なる人」とは、精神的な人、宗教的に敬虔な人という意味ではなく、神の息を新しく吹きかけられ、よみがえらされた主イエス様のみ霊によって生かされている魂と身体からなる人のことです。私たちが味わう艱難は「一時の軽い」ものであり、重みのある永遠の栄光とは、比べものにならないのです。

 

3.見えないものに目を注ぐ

 なぜ、わたしたちは落胆しないのでしょうか?それは「見えないもの」に目を注ぐからです。自分たちが掴んでいたと考えていた絆が苦難・艱難を通して、神様から繋ぎ直されるからです。皆さんは、今ご家庭で、あるいは二人で、あるいは、一人で礼拝をしていますが、見えないもの、豊かな聖霊の働きによって一つに結びつけているのです。

 

4.日々新たにされる

 ウイルス感染の脅威の状況の中で、日々新たにされる「内なる人」とはどのような人、どのような生き方でしょうか?一方で極端な潔癖症・消毒魔の問題があります。やがて張りつめた神経が疲労し、差別と敵意、排斥を生み出します。マスクをしていない人への警戒感、市や県、国を跨いで越境してくる人への敵意と差別です。異質な人への敵意と差別です。他方で、コロナ疲れではないですが、感性を疑うような楽天的不用意さです。人は人を脅かすウイルスと「共存」しなくてはなりません。安易な解決、希望的観測にしがみつく無邪気さです。この両極端の「狭間」を日々新たにされて歩んで行きましょう。(松見 俊)