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2019.7.24 「心はどこにあるのか」 使徒言行録4:32-5:11

1: 持ち物を共有する

 初代教会は、すべての者を共有し、財産を売り、それぞれに分けあいました。目的は、「心も思いも一つにすること」また「復活の主イエスを証し」していくことでした。 

 この時の背景にはキリスト教に対する大きな迫害があったのです。そのため心と思いを合わせ、財産を分け合ってでも一つとなっていく必要があったという背景があります。

 土地や家を売り、それぞれに分配していくということを続けていけば、いずれその財産が尽きていくことは分かっていたでしょう。それでもそのような手段をもって「イエスの復活」を告白し続けようとした思いの中には、「主がまもなく来られる」という思いがあったのです。

 

2: ルカにとってのお金について

 ルカは、ルカによる福音書でも、また使徒言行録でも、お金についてよく記しています。

 ルカ7:41-43、ルカ12:16-21、ルカ16:1-8【12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」】(ルカ12:34)とあるように、ルカは富のあるところに心があるとして、富による誘惑を強く感じていたのです。

 お金は人間関係を壊しますし、また繋げていくものでもあると思います。

 

3: バルナバ・アナニア・サフィラの行為

 バルナバは畑を売り、そのお金を持ってきて弟子たちの足もとに置いたのです。バルナバは自分の財産は神様によって与えられているという生き方を受け取ったということです。私たちにとって言えば、10分の1献金から受け取ることからできる解放の思いにつながると思います。

 バルナバは、財産に対する執着心から解放された、この後の記事にあるアナニアとサフィラは、富に囚われて、神様をだまそうとしたのです。このときすでに神様によって与えられている本当の命を失っていたのです。

 

4: 何に信頼して生きるのか

 アナニアとサフィラは、自分を守るもの、自分に命を与えるもの、生活を保障してくれるのは、富であるとしたということです。ルターは「保証は究極的な偶像である」と言いました。 

 私たちは、どれほどの財産を得ようとも、何のために生きているのかということに答えをもっていなければ、それは最終的にとても虚しいものとなってしまうでしょう。バルナバは、何よりも神様を信頼した。そして復活の主イエスを証するために生きる決心をしたのです。(笠井元)