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2019.5.19 「善き力にわれ囲まれ」(要約) マルコによる福音書10:35-45

 ボンヘッファーの作詞した「善き力にわれ囲まれ」(73番)を手掛かりに、今日、キリスト者はどのように生きるべきかを考えましょう。この讃美歌は、2年間の拘留・獄中の中で、19441231日、大みそかに書かれました。彼がナチス・ドイツによって絞首刑で殺される4ヶ月前です。命の危機の中で、命の終わりを予感させる状況の中で歌われた信仰者の歌です。

 

1.ボンヘッファーの生涯の略歴

 彼は、1906年ドイツに生まれました。19334月ヒトラーがドイツの役人からユダヤ人を追放することに乗り出します。この時点で、ドイツでヒトラーが始めたユダヤ人の公職追放が、後に600万人のユダヤ人を殺すことになることをボンヘッファーはいち早く見抜いていました。キリスト者は暴走車に巻き込まれて怪我をした人を介抱するだけではなく、ヒトラーという暴走車そのものを止めねばならないと考え、ヒトラーの暗殺計画に加わります。

 

2.善き力とは何か:天使たち

 「善き力」とは天使たちを意味しているようです。暗い絶望的にも見える牢獄の中で、「大勢の天使たちに信実に、静かに取り囲まれて、不思議にも護られ、慰められていた」というのです。天使たちはまさにイエス・キリストにおいて私たちの傍らにいてくださる神のしるしです。ボンヘッファーの人生は「外的奉仕のための内的集中」の人生でした。

 

3.苦き杯を主の手から受け取る

 第3節では、「苦き杯を、それがみ心であれば、恐れず、感謝をこめて、善き、愛する神のみ手から受けよう」と歌います。ここで、「杯」とは運命的な重荷を背負わされ、苦難を味わい尽くすことを意味しています。ゲッセマネの園の場面で主イエスは、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取り除けて下さい。」と祈ります。これは、主イエスが罪ある私たちに代わって死んでくださる、神とみ子キリストの間の深い、深い、断絶の経験でした。

 

4.この世の支配者を乗り越えるために

 「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。」これはまさに現在でも起こっていることです。これを克服するため、主イエスご自身が、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:45)と言われます。

 

5.「究極的なもの」と「究極一歩手前のもの」

 彼は「究極的なもの(Die letzten Dinge)と究極以前(Die vorlezten Dinge)を区別しながら両者を関係づけて生きる処にキリスト者の生きる姿勢を考えました。究極的なものだけに目を向ければ、ちには、悟りを拓いて現実逃避が起こります。究極一歩手前のものだけに目を向ければ、絶望かあるいは自己絶対化と熱狂主義に陥るのです。(松見俊)