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2018.12.16 「どのような救い主を待つのか」(要約)  マタイによる福音書11:2-14

1:  バプテスマのヨハネ

 バプテスマのヨハネは牢に捕えられていました。そしてこのあとマタイ14章において、ヘロデ・アンティパスによって殺されることになります。間もなく死を迎えようとしていた中でバプテスマのヨハネは、弟子たちを遣わし「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(3)と尋ねたのでした。

 

2:  牢屋の中での疑問

 ヨハネは牢屋に捕えられているという現実から、信仰に不安と疑問を持ち始めていたのではないでしょうか。牢屋の中で苦しみ、痛めつけられ、地獄のような状況にあったのです。私たちも「神様がこの世を愛しているのならば、どうして地震や台風、津波といった災害に苦しむ者、病気や死に苦しみ悲しむ人がいるのだ」と思うのではないでしょうか。「なぜ困難があるのか」。この問いに答えることはとても難しいものです。聖書は、「困難のなかに神様は私たちを見捨てているのではない。むしろ神様も共に悲しみ、痛み、生きておられる」と教えています。

 

3:  どんな救い主を求めているのか

 イエス様は、目の見えない人は見えるように、口のきけない人が話すことができるようにし、多くの病の人を癒していたのでした。わたしたちは「神様の救い」として一体何を求めているでしょうか。主イエス・キリストは十字架に架かって死なれたのです。イエス・キリストの十字架はあまりにも無力に見えます。しかし、その弱さの中にこそ「救い主」は来られたのです。小さい者として、救い主は生まれたのでした。

 

4:  小さい者として来られた救い主

 この世に救い主は来られました。救いの出来事は始まりました。救い主は小さく、弱い者として、飼い葉おけに生まれて下さったのです。イエス・キリストは、この世において、罪ある者、虐げられている者、苦しむ者と共に生きてくださったのです。そしてイエス・キリストは十字架の上で、惨めに苦しみ、痛みの中で死んでいったのです。この十字架の出来事を通して、神様の救いが始まったのでした。

 アドベントの時、わたしたちはどのような救い主を待ち望むのでしょうか。低き者としてこの世にこられた、イエス・キリストに目を向けてアドベントの時を過ごしていきましょう。(笠井元)