1 1-11の構造
1-11の構造は、1-2、3-8、9-11と分けることができます。3-8には「契約の締結」のその内容が記されています。この3-8の「契約の締結」を覆い囲むように、1-2、9-11があります。1-2「ひれ伏す」=礼拝について、9-11「食事」=交わりについて記されています。
2 神様の聖さ(1-2)
神様は、1-2においては「アロン、ナダブ、アブフ、イスラエルの70人の長老を連れて登ってくるように」と語りながらも、「モーセ以外の人は、近づいてはいけない」と言われるのです。神様の「聖さ」「偉大さ」を表します。
3 血の契約(3-8)
8節では、神様はイスラエルと契約を結びました。神様の約束に対して、イスラエルは「すべて行います」(3,7)と応えます。3-8では「すべて」という言葉に契約に応えるイスラエルの信頼、決意を感じるのです。
モーセは「祭壇を築き、12の石の柱を建て、捧げものをささげた」「血をとり、振りかけ、契約を結んだ」。12の石の柱は、イスラエルの十二部族のことを表現しています。血を振り掛けることは、贖罪、聖なる者とされるということが、イスラエルの民になされたということです。血による契約は「命」の契約です。
4 食事 神様との交わり(9-11)
血の契約に合わせて食事について加えることで、神様と民との交わりがあることを表すようにしているのです。11節では「彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。」(11)。入ることのできない一線がある者だと見ながら、それであって、その神様と共に食べ、飲んだのです。遠くにおられる神様が、共に食事をなされた。食事は「命を分かち合う時」です。神様の「聖さ」や「偉大さ」に加えて、神様の「やさしさ」「恩寵」「恵み」を感じるのです。
この血と食事は、この後、キリスト教の伝統として、主の晩餐式へとつながっていくことになります。
5 石の板 12-18
「教えと戒めを記した石の板」を授けられるのです。強調されているのは、神様は「教えるため」にこの十戒を与えられたということです。この十戒、律法は、「~してはいけない」「~しなければならない」ということが中心ではなく、そこに神様との交わりの中で生きる、その喜びに入れられて生きる、その道を示し教えておられるのです。(笠井元)