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2018.7.8 「キリストに捕えられて進む」(要約) フィリピの信徒への手紙3:12-16

 「完全」という言葉で皆さんは何を考えるでしょうか?『広辞苑』という辞書では「すべてそなわっていて、足りないところのないこと、欠点のないこと」を意味しています。フィリピ教会の中で、「すでに得た」とか、「すでに完全な者となっている」と主張する信徒、あるいは指導者たちがいたようです。

 

1.フィリピ教会に、「完全」であることを誇る人たちがいた!?

 

2.キリストに捕えられている

 人間というものは、何かを追い求めて、何かを得ようとして生きるものです。目標がないと情熱の方向性が定まらず、生きられないのでしょう。それは確かでしょう。しかし、パウロは、「自分がキリスト・イエスに捕えられている」、その動かない事実が大切で、その上で、捕えようという動機付けになっている、と言います。

 

3.目標を目指して

 パウロは競争するランナーの譬えを用いています。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞をえるために、目標を目指してひたすら走ることです」。少々進み具合は遅くとも、目標を目指して進むことが大切です。

 

4.「賞」を得るために

 「キリスト・イエスにおける、神の上への召しの賞品」とは、「上への召しという賞品」ということで、復活においてキリストと一つになることでしょうか。「神の上への召しがもたらす賞品」ということで、「救いの完成」ということになるでしょうか。

 

5.後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けながら

 過去を忘れる単なる「未来志向」は浅薄な生き方でしょう。しかし、自分の過去にまつわる失敗とその因縁に脅かされることも愚かなことです。過去を悔いるのではなく、失敗から学んで、希望をもって、前方を目指して生きることが大切です。いままで、自分の成し遂げた業績をいたずらに振り返るのでなく、はるかに勝った、神から来る天への召しを希望して生きるのです。

 

6.「到達したところに基づいて進む」

 もし、クリスチャンで自分は完全であると思う人がいるなら、それは自分が完成途上にあり、不完全であることを自覚している人のことです。「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進む」と言います。素敵な言葉ではないでしょうか!(松見 俊)