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2018.7.1 「命を負う」(要約) 創世記3:20-24

1.命の重みを負う

 罪を犯したアダムとエバには、罰が与えられました。エバは、苦しんで子を産む者とされ、アダムは苦しんで食べ物を得る者にされました。命を産む苦しみ、そして命を養う苦しみです。それは言い換えれば、命の重さを背負わされたのです。

 

2.神は見捨てない

 しかし神様は、「命」に対する責任を放棄して、全て私たちに投げ出してしまったのではありません。神様はアダムとエバに、皮の衣を作ってそれを着せてあげました。神様は、2人に必要なもの、それも、彼らが罪を犯した結果必要になったものさえも、備えてくださいました。神様は決して、2人を見捨てたわけではありません。

 また神様は、アダムをエデンの園から追放しましたが、耕す土を彼に与えました。神様はエバやアダムに罰を与えながらも、彼らが生きる道を備えてくださいました。神様は2人に、「勝手にしろ」とは言いません。彼らの必要を満たし、彼らの命を養います。神様は決して、人の命の責任を放棄したのではありませんでした。

 

3.残された命の木

 神様は、善悪の知識の木から食べ、罪を持った人間を、エデンの園から追放しました。それは、人が命の木からも取って食べて、永遠に生きるようになることを防ぐためでした。 

 しかし神様は、命の木そのものを取り去りはしませんでした。永遠の命の恵みを残してくださいました。人が神と和解し、神との関係の中で永遠に生きるようになる道を、神様は備えたのです。

 そして、関係の破れた私たちと神様の間に入り、和解させてくださるはイエス・キリストです。イエス・キリストによって私たちは、命の木へと行くことができ、神様との関係の中で、永遠に生きる者となるのです。これが、私たちの希望です。(安里道直)