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2018.5.6 「悔い改めて生きる」 (要約) マタイによる福音書6:16-18

1:  神様に立ち返る

 6章では、「施し」「祈り」「断食」と三つの事柄を通して「偽善者」とならないようにと教えているのです。「施し」「祈り」「断食」が当時の人々の生活において敬虔な生き方の「ものさし」となっていたのです。当時のユダヤの民にとっては、「施すこと」「祈ること」「断食すること」は、人から尊敬され、神様につながっている人とされる行為でした。ヨエル書では「断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」と言うのです。神様は断食を通して、神様に立ち返ることを求められているのです。

 

2:  共に生きる

 断食は私たちにとってあまり日常的な行為ではないでしょう。私たちは断食の意味を、自分自身の日々の生活行為と照らし合わせて、自分にとってはどのような意味を持つのかを考える必要があります。

 ヨエル書で断食は「悔い改めるため」の行為として教えられています。イザヤ58:4-8では、断食とは、「虐げられた人を解放し、飢えた人にパンを与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまない事」につながっている行為であるべきだと教えているのです。ただ自分が食べないだけではなく、他者に与えること、他者と「共に生きる」という意味を持っていると教えているのです。聖書では、断食は「悔い改めること」、「他者と共に生きること」だと教えるのです。

 

3:  神様と向き合う行為

 「悔い改めること」、そして「共に助けあい、生きること」は、私たちにとって大切なことです。ここでの「悔い改め」という言葉は、ただ「ごめんなさい」「わたしが悪かったです」という意味ではなく、「新しく生きる道」が与えられるという意味です。「生き方の方向転換」を意味するのです。神様はこの世にイエス・キリストを送ってくださいました。それは「貧しい者、弱い者、罪人」を救うためです。間違った価値観にさまよう私たちを、主の家に招き入れるために神様はイエス・キリストを送ってくださったのです。断食によって求められているのは、自分の弱さや醜さを認めること、「悔い改めること」、そして「新しい命を生きる」ことです。

 

4:  報いて下さる神様

 今日の聖書では断食を「偽善者のように行ってはならない」と教えています。断食とは、「悔い改めるため」「他者を助け、共に生きるための行為」です。「隠れたところ」とは、誰にも見せることができない私たちの心の中です。私たちの弱さ、醜さ、偽善、誰にも見せたくない心の暗闇の中に来てくださった。それがイエス・キリストの十字架による神様の愛の出来事なのです。

 断食は他者を助ける行為です。神様の愛に気づかされた時、私たちはまさに悔い改め、新しい命の道を生きることになるでしょう。これまで自分のために生きていた者が、神様に愛されていることを知るのです。自分のためから、神様のため、そして他者のために生きる命を与えられるのです。(笠井元)