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2018.3.25 「十字架の上で救い主になられた」 (要約) ルカによる福音書23:32-43

 

1:  執り成しの祈り

 今日から、受難週に入ります。イエス・キリストは十字架につけられました。イエス様は、十字架の上にあってなお「父よ、彼らをお赦しください。」(34)と、人間の罪の赦しのために祈られたのでした。イエス様は、道を外れている者、愛を感じることができなくなっている者、自分は一人ぼっちで孤独だと思っている者、自分の存在を受け止められない者、絶望している者が生きる力と生きる希望を得るために、神様の愛に招くために来られたのです。イエス様の執り成しの祈りは、イエス様の日々の信仰の中でなされた祈りです。イエス様は、生活の中で日々祈っていました。

 

2:  自分を救ってみろ

 イエス様の十字架に対して、人々は、「自分を救うがよい」「自分を救ってみろ」「自分とわれわれを救ってみろ」と、ののしり侮辱します。イエス様をののしる者たちが求めたのは、「他者を救う」ことではなく、「自分自身を救うこと」でした。私たちは「自分のため」「自分を救うこと」ができる者を素晴らしい者と思うのです。

 聖書は、自分ではなく、他者のために生きるのでなければ、「何の益もない」というのです。イエス様がこの世に来られ、人間として生きたこと、そして十字架の上で死なれたという出来事は他者の為に生きるためでした。

 

3:  十字架の上で

 イエス・キリストは、自分自身を捨てることによって、他者の救いの出来事を示されたのです。イエス・キリストは十字架の上で救い主となられたのです。十字架という一番苦しみの時、なによりも自らが無力とされる中にあって、イエス・キリストは、確かに神の救いを示されたのです。一人の犯罪人は「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました。「わたしを思い出してください」とは、イエスの祈りの中に覚えてくださいということです。

 

4:  共に生きる

 「わたしと一緒に楽園にいる」。それは南の国のパラダイスのようなところを意味するのではないのです。それは、神の愛を受け取るときに、イエス・キリストと共に生きる時にいただく、心の喜びなのです。「神が共にいる」。それが、私たちに与えられた本当の「楽園」救いの出来事です。わたしたちは孤独な存在ではない、生きる意味を与えられている者です。愛される必要のある存在なのです。十字架の主イエス・キリスト、復活のイエス・キリストが私たちと、今、共に生きて下さっているのです。わたしたちはここに「楽園」、「愛された存在」としての意味をいただくのです。(笠井元)