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2018.2.7 「主は我々の間におられるのか」  出エジプト記17:1-7

1.旅の途上 

 イスラエルの民は神様の贖いの業から、約束の地へ向かって歩き続けます。救いの人生の旅の途上にいます。神様はイスラエルを贖い導き出したのです。導きの道は荒野の道であり、困難な道であり、神様に見捨てられたと感じるような道です。苦しみの中「見捨てられた」と思う中、本当はそこに神様は共におられるのです。

 

2.水がないという不平

 今日の箇所では「水がない」という問題が発生します。「水の問題」は荒野にあって大きな問題です。水がないことは人間にとって命の危険性となります。イスラエルの民は「喉が渇いた」とモーセに詰め寄ります。これは生きていく命を求めた言葉でした。

 

3.水を得る 岩を打て

 神様はモーセに対して水の見つけ方を教えたのです。(5-6)「あなたはその岩を打て」。神様は水を与えてくださるのです。これは神様の命の救いの出来事です。実際に岩の下に流れる水が存在していたのです。神様の命の救いの出来事として、隠れていた自然の資源があることを教えてくださった。人間には、見えていなかったものを見えるものとすることによって命の水を与えてくださったのです。

 私たちが困難に出会う時、自分では見えていないけれど、救いの道があることを教えられます。神様は困難、試練から逃れる道を必ず備えていてくださるのです。

 

4.試し

 7節では「主は我々の間におられるのかどうか」を試したと言うのです。

 イスラエルの民は、飲み水を求めたのです。それは神様が共におられるかどうかを試したのでもありました。水を得ることができなければ、神様は共におられないと言っているのです。結果次第で神様を信じる、信じないを考えている。神様という存在は、自分が困ったときに、自分のいいなりになってくれる神様を求めているのです。

 

5.主を試してはならない

 マサ(試し)、メリバ(争い)はこの後イスラエルの民に、教訓として語られていくようになります。申命記6:16、詩編8:18、詩編95:8-9

 わたしたちは「主を試してはならない」と教えられているのです。ここでは「水」を得ることができないことから「主が共にいるのか」と叫び、「共にいるならば、水を与えろ」と叫んだのです。そのような思いに囚われるのではなく、どのような場面にあっても、主が共におられることを信じていきたいと思います。(笠井元)