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2018.1.7 「祈り合い、補い合う教会」 (全文) エフェソの信徒への手紙4:14-16

1:  今年度の標語から

 今日の箇所は、今年度、2017年度の主題聖句の箇所になります。東福岡教会では、今年度は、主題聖句をエフェソの4:16とし、標語を「キリストによって結び合わされて」としました。この一年の始まりのこの時に、教会の主題聖句から、もう一度学んでいきたいと思います。今年度の主題聖句は、教会の右側に張り出されていますが、エフェソの4章16節後半の「おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」(4:16b)となっています。本当は、主題聖句として16節全体にしたかったのですが、少し長くなるので、16節の後半だけとなっています。16節全体を読んでみますと・・・「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」(4:16)

 ここでは、キリストの体について、「それぞれが補い合い、結び合わされて、おのおのが、その分に応じて、愛を造り上げていくように」と教えられています。今年度は、この箇所にもあり、また標語にあるように「キリストによって結び合わされて」いきたいと願っています。

 

 4月には、今日と同じ箇所から「キリストによって結び合わされて」としての説教をしました。その時は、お互いに仕えあうこと、「祈り合う」こと、「補い合う」ことを、お話しました。

 皆さんは、今年度は、これまで、どのように過ごすことができたでしょうか。またあと3か月ありますが、これからどのように過ごそうと思っているでしょうか。新しい1年が始まりましたが、昨年を振り返ったときに、それぞれに、様々なことがあったと思います。皆さん、それぞれ嬉しかったこと、悲しかったこと、様々なことがあったと思いますが、教会として嬉しかったこともたくさんありましたが、その一つとしては、新しい命「佐々木言乃葉」ちゃんが与えられたことではないでしょうか。

 わたしたちが4月からどのように過ごしていようとも、神様は私たちを愛してくださっていて、祈って下さっていることを覚えたいと思います。どのような時にあっても神様はいつも私たちと共にいてくださいました。神様はどのような時も、私たちを愛してくださっているのです。私たちの生きる指針、生き方、目標、目的は、すべてそのうえで成り立つものです。私たちは、キリストという愛を土台として、どのように生きていくことができるのか、何を目指すのかを考えるのです。

 4月の説教では、「キリストによって結び合わされて」ということをテーマに、特に、「お互いに祈る」こと、そして「補いあう」ことをお話しました。今日は、この「祈りあう」こと、「補いあう」ことについて、もう少し深く考えていきたいと思います。

 

2:  祈り

 祈り合うこと。それはお互いの心を一つにしていくことでもあります。「心を一つにする」という言葉は、「意見を同じにする、調和する、一致する」という意味があり、他には「契約する」、そして「音が調和する」という意味もあります。「心を一つにする」という言葉は、共に音を奏でる、シンフォニー、交響曲という言葉の語源ともなるのです。つまり、心を一つにすることは、オーケストラのように、指揮者に合わせてみんなが音を合わせるようなことなのです。オーケストラでは指揮者を中心にして、様々な楽器がタイミング、音程を合わせて一つの音を造り上げていきます。指揮者に合わせて、それぞれが、違う音を奏でながらも、一つの音、曲を造り上げていくのです。それはまさに、心を一つにしなければできないことでしょう。そして祈りもまた、同じようなものであるというのです。

 祈りあうためには、心を一つにする必要があるのです。そして、心の一致のためには、まず指揮者、つまり祈りではキリストに目を向けることになります。イエス・キリストに目を向け、キリストを中心として、神様に一つの祈りを献げるのです。

 結婚式などでよく話される話ですが、人間がお互いが良い関係を造り上げていくためには、お互いに向き合うだけではなく、同じ方向を見ていることが大切なのです。それぞれがどこに目を向けるかということです。私たちは、神様に目を向け、神様との関係をきちんと持ち。そのうえで、お互いに力を合わせることによって、神様を土台とした関係が作られていくのです。心を合わせて祈ることは、まず同じ方向、同じ土台、同じ目的を持っていることから始まるのです。イエス・キリストの愛を共に求めること、その愛のために共に生きること、その愛が広がるために共に働くこと、そのために心を合わせ祈るのです。

 それは主の祈りでいうところの「御国が来ますように」という言葉に集約されると思いますが・・・心を合わせて「御国が来ますように」と、祈ること、それが神様を土台として、心を合わせて祈ることなのです。このように、ただキリストのために生きるという一つの目的のために、私たちは心を一つにして祈るのです。

 

 教会では水曜日に祈祷会をもっています。祈祷会では兄弟姉妹と、お互いのことを覚えて、また教会のため、教会員のため、その家族のため、病気の方や、様々な理由で教会に来ることができない方々のため、そして求道者や幼稚園のために祈ります。そして、この祈りは何よりも、神様の愛が広がるために祈っています。祈ることは、神様にお願いや感謝、悔い改めや心の痛みを差し出すこと、神様との会話です。そのうえで共に祈り、祈られていることから、時にどこかで孤独を感じていた自分が癒され、またどこかで高慢になっていた自分が低くされ、また神様を拒み、離れようとしていた自分を引き戻されるのです。そして、心を一つにして共に祈るときに、一人ではただ心が苦しいだけにあるときに、平安が与えられるのです。

 

3:  補い合う

 また、キリストによって結ばれるために、お話した、もう一つのことである、「補い合う」ことは、何よりも、お互いの違いを受け入れあうことになります。人間は、同じ者、似たような者と共にいることを喜ぶのです。誰かとお話をして仲良くなるための一つの手法として「共通点」を見つけることが一つの手段であると言われています。お互いの共通点を見つける時、「この人は、わたしと同じ心を持っている」「わたしの心を理解してくれる」と思うのです。性別、年齢、出身地、好き嫌いな食べ物、色、人生経験、考え方、なんでもいいのです。ただ似ているところや共通点は、お互いを受け入れる第一歩としてとても大切なことなのです。同じところを持つことは共に生きる第一歩です。お互いが、お互いを理解するための大切な事柄でもあるでしょう。

 そして「補い合う」ということは、その第一歩「共通点」を持つことから、次のステップとなることになります。「同じところ」を見つけ、お互いに似た者として受け入れた関係。そこから、もう一歩深い関係となるために、今度は、共通点ではなく、違うところ、似ていないところを知るのです。私たちはお互いに関係を造り上げていく中で、必ず、違うところを知ることになります。「補い合う」ことは、その違いを受け止め、違いを喜び、分かち合い、共に支え合い生きることを目指しているのです。人間には、それぞれ同じようなところもあれば、また違いもあるのです。そのうえで「補い合う」ことはお互いの違い、しかもお互いの強さや弱さをも知ることから始まるのです。お互いの良いことも、そして弱さも知る中で、お互いにその弱さを受け止め、フォローしあう。それが補い合うことです。ただ、自分と同じ意見や、同じ価値観だけを受け入れることは「補い合う」ことにはならないのです。

 神様はお互いに補い合うことで、それまで以上にしっかり組み合わされ、結び合わされるようにと教えるのです。

 わたしたちはお互いに補い合おうと思っているでしょうか。わたしたちはどこかで自分と似ている人、自分と同じような考えで、理解することができると思う人とだけ関わるように思ってしまうことがあるのではないでしょうか。そしてそこで止まってしまうのです。「あの人はちょっと話しにくい」「あの人の考えは理解できない」と思うときに、心に壁を作ってしまうこともあると思います。

 神様は、ご自身が、まったく違い、弱さだらけのわたしたちを愛してくださったのです。神様は「わたしはどのようなあなたをも愛している」と、私たちの「弱さ」を受け入れてくださる。そして神様は同時にそれだけではなく、「わたしはあなたの存在が尊い」と私たちを認め、理解し、必要としてくださっているのです。神様は、その愛の完成のために、私たちを必要としている。私たちに補ってほしいと願っているのです。補い合うことは、お互いの弱さを知ること、違いを受け入れることです。そしてそれは同時に、自分の弱さを知ってもらい、助けてもらうことでもあるのです。私たちが補い合うということは、自分にはできないことを、「あなたに助けてほしい」と他者に頼る、そのような関係を作りだすことでもあるのです。

 あの人はこのような良いところがある。あの人はこのような素晴らしさを持っていると、他者の良さを見つけ、頼り、支えてもらうこと。神様ご自身も、私たちを必要としているように、私たちがお互いを必要とすること、その必要性に気が付くことでもあるのです。

 

4:  キリストによって結び合わされて

 わたしたちが、共に祈り合うこと、そして補い合うこと、それはすべてが神様のため、神様の愛がこの世に表され、広げられていくためです。

 今年度、4月の総会で教会の活動計画を承認しました。そこで標語を「キリストによって結び合わされて」とし、具体的には、ピクニックに行くことや、信徒会を行うこと、そして祈祷会に参加することなどを確認しました。今年度はこれまでに3度の信徒会を行いました。東福岡教会は、バプテスト教会であり、「万人祭司」という考えをもった教派です。しかし、牧師や執事以外の人が、教会のために意見することができる場所は、総会だけです。お互いに思っていること、お互いの意見を聞く場所が少ないのです。今年度は信徒会を持って、お互いの思っていることを少しでも聞いていこうと思いました。皆さんが、積極的に参加してくださり、とても意義ある時間となったと思っています。

 また、年間活動計画では、「祈りの時を持つ」として、「一年に一回以上の祈祷会の参加を促す」と承認されました。今、お互いが、何を祈ってほしいのか、祈れるのか、そして祈られているのか、ぜひ皆さんと分かち合い、祈祷会で心を合わせて祈りましょう。

 

 今年度の標語は「キリストによって結び合わされて」となります。新しい一年が始まるこの時、年度としては残り3か月ですが、わたしたちはもう一度この言葉から、神様に愛されている者として、その愛を知り、分かち合い、喜ぶために、何ができるのか、考えていきましょう。私たちが生きるその土台には、イエス・キリストがいてくださるのです。私たちはイエス・キリストによって結び合わされていくのです。

 祈り合うことも、補い合うことも、そのすべてがキリストを土台としてこそ成り立つのです。私たちが・・・祈り、補い合うのですが、そこには主イエス・キリストの愛、祈りがあるのです。主なるイエス・キリストは、私たちを愛し、まずキリストが私たちのために祈り、私たちの弱さを受け止め、そして私たちを必要としてくださっているのです。

 私たちは、このイエス・キリストを土台として、この新しい一年も歩き出していきましょう。主はいつも、私たちと共にいてくださいます。私たちの間にいてくださるのです。この主イエス・キリストの愛を表す者として、共に祈りあい、補い合っていきましょう。(笠井元)