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2017.12.17 「戸惑いの中で」 (全文) ルカによる福音書1:26-38

1:  主は共におられる?

 クリスマスを待つ、アドベントは第3週となりました。来週はクリスマスになります。

 今日の箇所は、天使ガブリエルによるマリアへの「受胎告知」の場面です。今日の箇所では、マリアのところに天使ガブリエルが来て、「あなたがイエス様を産むことになります」と伝えるのです。ここは聖霊によってマリアがイエス様を産んだことの根拠となる聖書箇所でもあります。マリアは「わたしは男の人を知りませんのに。」(34)と言い、それに対してガブリエルは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(35)と答えるのです。このやりとりから、マリアの「聖霊による受胎」また「処女降誕」という考えにもつながる箇所となるのです。

 また、38節の「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(38)という言葉から、マリアの素直な信仰を読み取ることもあります。ある意味、マリアの聖さ、正しさ、純粋さなどを語る箇所として読み取ることが多い、この箇所ですが・・・今日は、少し違う読み方をしていきたいと思います。

 

 今日の箇所で、天使ガブリエルは、神様の言葉を伝えるために、ナザレというガリラヤの町にいる、一人の女性マリアのところへと遣わされたのです。ナザレは、特に有名な場所でもなく、別に重要視されていた町でもなければ、栄えていたわけでもない町です。そのような小さい町ナザレにおいて、ただ毎日を普通に暮らしていただろう、一人の女性マリアです。小さな町で平凡、普通に暮らしていただろう一人の女性のところに、突然、天使ガブリエルは遣わされ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(28)と告げたのでした。

 

このガブリエルの言葉に対し、マリアは「戸惑い」ました。この言葉は、いったいこの挨拶は何のことかと考え込むのです。この「戸惑い」という言葉を、口語訳では「胸騒ぎ」と訳しておりますが、「戸惑い」という言葉は、心を乱してしまっている状態のことを指しています。マリアは、このガブリエルの言葉に、胸騒ぎし、心を乱していたのです。

マリアが最初にいただいた言葉、「恵まれた方。主があなたと共におられる。」という言葉は、「主が共にいてくださる」ということを告げた言葉です。順番を読み取ると、マリアは、「主が共におられる」ことを伝えられ、そして戸惑い、それから受胎告知を受けるのです。つまり、マリアは「主があなたと共におられる。」という言葉に「戸惑った」「心を乱し、困惑した」のでした。

本来「主があなたと共におられる」という言葉は、恵みの言葉であり、孤独である者を励まし、絶望している者に希望を与える言葉であるはず、神様が人間に与える福音の言葉のはずなのです。しかし、この「主が共におられる」という恵みの言葉に、マリアは心を乱したのです。

2:  戸惑い

なぜマリアはこの言葉に心を乱され、戸惑ったのでしょうか。この戸惑いが、救い主の母親となるという聖霊による受胎の告知の後であれば、マリアの困惑、戸惑いは、よく理解できます。しかしただ「主があなたと共におられる。」という言葉にマリアは戸惑い、困惑した。このことだけを考えてみると、マリアは、なぜこの言葉に心を乱され、戸惑い、考え込んだのかと、とても不思議に思うのです。

その「戸惑い」の一つの理由として考えられるのは、マリアにとって、この「主が共におられる」という言葉は、とても不自然な言葉であったのではないか、ということです。「主が共におられる」という言葉は、現実のマリアの思いとは、全く違うものであったということです。実際のところ、マリアの心の中、現実の暮らし、ナザレでの生活、人間関係がどのようなものであったのかはわかりません。ただ、このときのマリアは、自分が神様と共に歩むことができていない、神様に従うことができていない、そこまで言わなくても、神様のことをそれほど必要とはしていない。そのような気持ちであった。またそれは自分の思いだけではなく、事実、現実の生活から見れば、神様ご自身も、自分と共にいない、自分のところになどは来られていないと、そのように感じる状況に置かれていたのではないでしょうか。神様を見上げていこうとしても、神様がどこにいるのか、全く分からない。神様に共にいて欲しいと思いながらも、現実では、神様を見失ってしまう自分がいる。そのような現実があったのではないでしょうか。

マリアは自分の生きる現実と、この「主があなたと共におられる。」という言葉のギャップに戸惑い、考え込んだと考えられるのです。

 

そして、このように読み取るときに、私たちはマリアの姿を、自分の信仰生活に、重ね合わせてみることができるのではないでしょうか。今、皆さんは主が共にいるということを実感しているでしょうか。日々の生活において、その一瞬一瞬において、主が共にてくださり、神様が私たちと共に歩んでくださっている。そのように感じることができているでしょうか。今、ここで、「恵まれた方、主があなたと共におられる」と神様に告げられたら、素直に「ありがとうございます」と喜ぶ事ができるでしょうか。その言葉を自分に向けられた真実の言葉として受け取ることができるでしょうか。確かに、神様がいつも共にいてくださると感じているならば、それはとても素敵なことです。できることならば、そのように日々過ごしていきたいと思います。しかし、私たち人間はいつも変わらず心が満たされているわけではないのです。生きている中で、善いこともあれば、悪いこともある。思いもよらないほどの痛みや苦しみの中に落とされることもあるのです。

 

現代の日本での生活は、あまり不自由のない生活となっているのではないでしょうか。ある程度ならば、衣食住を手に入れることができるのです。確かに毎日の食べ物を得ることができない人も、もちろんおられるのです。しかしそのような状態であることがほとんどではなく、あくまでもそれは少数派の人々のことになります。ほとんどの人が、なんとかでも、食べものを得て、飲む物を飲み、家の中に住み、着たいものを着る。テレビを見て、携帯を持ち、車にのって・・・と、それほど不自由のない生活をしているのだと思うのです。そして、そのような中では、私たちは神様を忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。神様を必要としていない、神様などいなくても生きていける。そのように思ってしまうこともあるのです。普通の生活、平凡で特に何もない日々は、神様を忘れさせてしまうのです。

そしてまた、逆に苦しみが大きすぎるときに、絶望に突き落とされた時には、今度は、神様のことを否定してしまう者となるのではないでしょうか。心の底から痛みや苦しみを持っているときに、私たち人間は、とてもではないけれど、神様が共におられるなんて・・・そんなことは信じられないと思うのではないでしょうか。

神様は「あなたと共にいる」と伝えてくださいます。しかし私たちには、「主があなたと共におられる」という言葉を心、から受け入れられているでしょうか。

3:  戸惑いからの解放

この言葉を告げられたときのマリアの心がどのようなものであったか、その心の中まですべてわかるわけではないのですが・・・ただマリアは「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」という言葉を、そのまま素直に喜んで受け入れたのではなく、戸惑い、困惑したのでした。マリアは戸惑いました。そのうえで、そのような戸惑うマリアに対して、ガブリエルはイエス様が産まれることの告知するのです。救い主イエス・キリストが産まれることの告知です。それは、戸惑いの中にあるマリアに対する救いの告知、希望を教える言葉でもあったのです。確かに、今日の箇所にあるように、この後マリアがイエスという男の子を身ごもり、産んでいくのです。このイエス・キリストの誕生の告知を通して、まさに、まず、マリア自身が戸惑いの中から、救われ、解放されていったのではないでしょうか。マリアのもとに、現実としてイエス・キリストという救い主がこられ、神様が、事実にその心のうちに来てくださり、マリアの心を動かされた。マリアの心の痛み、虚しさ、自分でもどうしてよいかわからないような、心の奥深くまで、神様は来てくださった。マリアの心の中にイエス・キリストが来てくださったのです。

このイエス・キリストが来られること、誕生の告知を通して、「主があなたと共におられる。」ということが、マリアの心の中で始まっていたのです。まさに救いであり戸惑いからの解放が起こされ始めていたのです。イエス・キリストは人間の悩み、戸惑い、畏れ、そのうちに来てくださったのです。

4:  聖霊に導かれて

イエス・キリストが、この世に来られるということ。それはまさに、「主があなたと共におられる。」ということを実現された出来事です。私たちは心に不安を抱え、神様に従うことができないこともあります。また時に神様を見失い、神様がどこにいるのか分からなくなってしまう、そのような弱さを持つ者なのです。神様は、そのような私たちのところにイエス・キリストを送ってくださったのです。私たちが神様を見上げたからでも、従ったからでもなく、主なる神様が、私たちを愛し、私たちと共にいるためにイエス・キリストを送ってくださった。これが、私たちに対する神様の愛なのです。このことは、まさに解放の告知として、私たちに与えられた神様からの恵みなのです。私たちは、心の重荷、痛み苦しみからの解放の告知、「主があなたと共におられる。」ということを実現された、イエス・キリストの恵みを、受け取っていきたいと思います。

 

35節では「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(35)と言われます。神様は共に生きて、そして聖霊として私たちを包み、その道を導いてくださるのです。私たちはその聖霊に包まれた者として、38節「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と告白する者と変えられていくのです。

マリアは戸惑いました。最初は、「主は共におられる」と言われても実感はなく、理解はできても、受け入れられず、困惑したのでした。「主があなたと共におられる。」と告げられた時、戸惑い、心を乱していたマリアは、イエス・キリストの福音に触れ、そして、聖霊の導きの中にあって、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と告白する者へと変えられていったのです。マリアは、心の戸惑い、悩み、苦しみから、聖霊に導かれ、主を告白し、賛美する者へと変えられたのです。神様は私たちのうちに、イエス・キリストを送って下さいました。このイエス・キリストにより、神様は自らが私たちのところに来てくださり、共にいてくださることを示されたのです。私たちがどのような状態にあっても、決して見捨てず、私たちと共にいてくださることを示されたのです。

そして神様は聖霊を通して、私たちを愛で包み込み、解放へと導いてくださっているのです。私たちは、このキリストによる解放を、自らのこととして受け取っていきましょう。イエス・キリストが共にいてくださること、そして聖霊が導いてくださることを、私たちは素直に受け取り、主を告白する者へと変えられ、主を証しする者とされていきたいと思います。 (笠井元)