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2017.9.20 「神様の権威による裁きと救い」  出エジプト記12:29~36

1. 最後の災い

 最後に「エジプト中の初子が撃たれる」という災いが起こされました。この災いによって、ファラオはイスラエルの民が出ていくように命じたのでした。この最後の災いがどのようなものであるのかは、すでに11章において語られているのです。12章では、この災いがイスラエルの民に及ばないために、鴨居と入口の柱に羊の血を塗ることを教えるのです。今回の災いには、予告があり、準備の時があったのです。

 

2. 神の権威とファラオの権威

 今日の箇所は、ファラオの権威と神の権威について教えています。出エジプト1章において、ファラオは「子どもの殺害命令」を行ったのでした。しかし、ファラオは助産婦二人すらも支配することはできなかったのです。人間が人間を権威や力で支配するのは限界があるのです。

 神様はエジプトにおけるすべての初子を撃たれたのです。奴隷から、家畜まで、ファラオの子どもでも、神様の支配から逃れることはできなかったのです。わたしたちは神様の権威のもとに生かされているのです。私たちが畏れるべきは、この世の支配ではなく神様なのです。

 

3. 神の裁きと救い

 ここで下された神様の裁きは、エジプトにとっては裁きであり、イスラエルにとっては救いとなったのです。神様の裁きの絶対性と恐ろしさを覚えたいのです。私たちは、神様の裁きに対する恐れを忘れてはいないでしょうか。救いのための道。過ぎ越しのためにイスラエルの民に教えられた、鴨居と二本の柱に血を塗るという、血による犠牲による過ぎ越しの業でした。神様は裁き、そして神様は救われるのです。私たちはただ、神様の裁きの出来事を謙虚に受け取ることが救いとなるのです。

 

4. 裁かれる者と救われる者

 ここでは神様によって、裁かれる者エジプトと救われる者イスラエルがいることを教えています。エジプトという、この世における強き者が撃たれ、イスラエルという、うめき、苦しみ、支配されていた奴隷が解放されたのです。この世を自分のものとし、他者を支配していた者は裁かれ、弱き者が救い出されたのです。弱き者は、神様に救いを求めた者であり、強き者とは、神様を必要としなかった者ともいえるでしょう。耳を傾ける者は救いを得て、その言葉に耳を傾けない者が打ち砕かれたのでした。

 

5. イエス・キリストという犠牲

 出エジプトの裁き、最後の災いはイエス・キリストをイメージさせます。神様は、人間を救い出すために、自らの子イエス・キリストを犠牲にされたのでした。ファラオの子が死んでいったように、神様の御子も死んでいったのです。ファラオの痛みを一番よくわかるのは、神様ご自身ではないでしょうか。神様は裁きを与えられます。そしてその裁きが救いとなるために、その主権性のうちに、キリストを与えてくださったのです。(笠井元)