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2017.1.8 「白髪になるまで、背負って下さる神」 (要約) イザヤ書46:1-4

 新年に当たり選んだ聖書箇所は、「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出たときから担われてきた。同じように、わたしはあなたがたの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負って、救い出す」という主なる神の素敵な言葉です。

 

1.滅亡と絶望の中から

 この素敵な言葉は、イスラエルの民の滅亡、絶望の中で語られました。この希望の言葉は、まさに、イスラエルの民が滅亡の危機と絶望的状況の中で語られたのです。絶望を知らない希望は単なる幻想であり、希望を知らない絶望は単なる虚無主義・ニヒリズムです。

 

2.偶像:人に「担われる神々」

 預言者は偶像礼拝の無力さ、可笑しさを指摘します。「ベル」とはバビロニアの中心的神話の神であり、天の神、神々の父です。「ネボ」とは、菅原道真のように、知恵の神、学者の守護神です。ここで語られているのは、神殿に安置された偶像を家畜の背中に追わせて、町の城壁の回りを巡って行進し、町に繰り出す華麗な祭りの模様か、あるいは、迫りつつあるペルシヤ帝国によるバビロニア帝国の滅亡に直面して、人々が、神の像を台座から降ろし、神殿から、安全な場所へ避難させようとしているのを描いているのだとも考えられます。偶像は、家畜の背中に据え付けられて動くのであり、あるいは、人間が神輿として担ぎまわるのです。そのような偶像は、自分では動くことができず、家畜や人に依存している、担われる神々です。神々が民衆を救う代わりに、神々が人や動物に、担われ、その重荷となるとは!なんという倒錯でしょう。

 

3.徹底的にその民を担う神

 しかし、イスラエルの神は、揺り籠から老いる日まで、徹底的にその民を担い、背負い、救って下さる神です。神が人間を造ったからというのは唐突ですから、「ナサーティー」と読めば、「担ってきた」となります。神ご自身が、私たちを担ってきた過去の歴史がそうであるように、老いて白髪になっても、いやその時こそ、背負って、救い出して下さると約束しています。

 

4.わたしに聞け

 新しい年、「わたしに聞け」と命じられています。「人に、動物に担われる神」を選ぶのか、私達を徹底的に担って下さる神に聴くのかです。

 

5.残りの者よ

 「残りの者よ」。これはイザヤ書に頻繁に登場する有名な思想です。神は必ず「残り」を残しておかれる。日本社会ではキリスト者は絶対少数者です。しかし、ぴかりと光る者たちでありたいものです。(松見 俊)