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2016.8.31 「イエスについての証し」 ヨハネによる福音書5:31-47

1.「証し」とは

 「証し」という言葉には、「真実であると誓う」、「証言する」という意味があります(裁判用語的)。証人は真実を語らなければならない、これが絶対の決まりです。しかし、自分で自分のことを証ししてもそれだけでは不十分だと聖書時代の人は考えました。その人が言っていることが真実であることが分かるには、第三者による証言、保証が必要だったのです。

 

2.人の証し

 イエス様は神が人と成られた方ですから、ご自分でご自分のことを証しする力をお持ちの方です。ではイエス様はなぜ、「わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない」と今日の箇所では述べたのか。それは、イエス様の謙り、私たち人と同じ立場にまで降りて来てくださったことの表れです。

 イエス様が天の父なる神から遣わされた方であるということは、イエス様がなさっている業そのものが証ししていると言います。その業は(1)父が与えたものであり (2)そして父が“成し遂げるように”与えたものです。

 

3.聖書はイエス・キリストについて証ししている

 聖書はイエス・キリストについて証しをしている、とここではっきりと言われています。イエス様は救い主、私たち一人ひとりをかけがえのない存在だと認めてくださっているという信仰を通して見なければ、人がいくら聖書への知識を増やしても、決して聖書の伝える真実のメッセージを受け取ることはできないのです。

 

4.人からの誉れ

 人からの誉れ(称賛)を受けたい、この思いから自由な人がどれだけいるでしょうか。しかし、私たちが受けるべき誉れは、この世界をお造りになり、私たちを愛される、神からの誉れです。

 そして神からの誉れを頂くということは、私たちも全ての栄光を神にお返しする、自分の栄光としないで、神に感謝して神を崇めるということです。これが人が最も自由に生きることのできる道です。

 

5.モーセはイエスについて書いた

 訴えるのは、「あなたたちが頼りにしているモーセ」である、とイエス様は言います。自分たちはモーセの弟子だ、ということがユダヤ人の誇りでした。生まれつき目の見えない人がイエス様に癒されて、(そこでもその日が安息日であったことがユダヤ人の非難の的となる)ファリサイ派の人がその癒された人に「我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない」(9:28,29)と言います。

 そのモーセもイエスについて書いた、だからあなた方はモーセの弟子だといいながらも、モーセの書いたことを本当には理解していない、だからイエスを受け入れることもできない、とイエス様は、ヨハネもモーセも、イエスご自身について証しをしている、と言われます。(酒井朋宏)