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2016.5.15 「福音を故郷の言葉で」 (全文) 創世記11:1-9

 今朝は、ペンテコステ(聖霊降臨日)、つまり、この世界にキリスト教会が誕生した日をお祝いする礼拝です。礼拝の招きのみ言葉として、使徒言行録2:1~4を読んでこの礼拝を始めました。「すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」、「そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」と言われています。少し言葉を継ぎたせば、イエス様の物語を、つまり、福音を、色々な国の言葉で、自分の故郷の言葉で話され、聴くことができたということでしょう。そこで、今朝は、皆さんに協力していただいて色々な言葉で、ヨハネによる福音書3:16を読んでいただきました。外国語だけではつまらないので、「気仙沼」方言でも読んでいただきました。残念なことは、地元福岡・博多弁がなかったこと、隣の国の中国語がなかったことです。でも、ナムさんがハングルでヨハネ3:16を読んで下さり、嬉しい想いです。

 このペンテコステの出来事の正反対の出来事がいわゆるバベルの塔の出来事です。当時の権力者が「同じ言葉、同じ発音」を用いて、神に対抗する高い塔を建て始めたのですが、主なる神はこのような人間たちの企てを挫かれ、言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられるようにされた。というのです。今朝は、このバベルの塔の出来事を学び、ペンテコステの出来事がいかに素晴らしいかを味わってみたいと思います。

1.全地は同じ発音、同じ言葉であった

 このペンテコステの出来事の正反対の出来事がいわゆるバベルの塔の出来事です。当時の権力者が「同じ言葉、同じ発音」を用いて、神に対抗する高い塔を建て始めたのですが、主なる神はこのような人間たちの企てを挫かれ、言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられるようにされた。というのです。今朝は、このバベルの塔の出来事を学び、ペンテコステの出来事がいかに素晴らしいかを味わってみたいと思います。

 物語は、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」という文章で始まっています。いったい、これは何を意味しているのでしょうか?おかしなことではないでしょうか?なぜなら、10:5には「それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった」と言われており、20節にも「これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である」と言い、30節にも「これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたセムの子孫である」と言うのです。つまり、様々な言語があり、違いがあり、民族の文化はとても多様であることが語られている。神様はそのような多様性・違いを喜ばれるのです。にもかかわらず、急に、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」というのです。「こりゃ、なんじゃろなあ」といわざるを得ません。外国語の勉強に苦労している私にとっては、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」ということなら何て気が楽だろう、こりゃ、「よかろうもん」ということになりますね。しかし、皆同じ言葉であれば、注意深く耳を傾けることがおこらないのかも知れません。「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」というからには、何かもっと他に言いたいことがあるに違いありません。

 

2.統制・抑圧の言語

 つまり、ここでは、人の個性、他の国の歴史、それぞれの多様性を無理にコントロールしようとする、そんな「言葉」が意味されているのではないでしょうか?例えば軍隊用語です。上官の命令に「質問!」、とか「違う意見があります」などと言ったら叱られてしまいます。ヒットラーがナチス政権を確立する課程で、「同質化政策」というものをやりました。一つの命令に一様の反応を引き起こすように、すべてをナチス体制に一元化、平均化するため、言うことを聞かない、共産党をまず弾圧し当時15%に及ぶ1100人の大学教授を追放します。天野先生が研究しているカール・バルトはバン大学の授業の初めに、「ハイル・ヒットラー」という敬礼をしなかったのでスイスに追放されました。そして、600万人のユダヤ人を殺害したと言われています。そして、同性愛者、障害者を「役に立たない者たち」ということで抹殺します。こうなったら、「ドイツは、同じ言葉を使って、同じように話していた」となっていたのでしょう。そして、軍国主義の中、かつての日本も韓国・朝鮮人に日本語を学ぶように強要し、日本の姓を名乗るように勧めたのです。日本語も明治時代に東京山の手弁を標準語にして、効率よい国づくりをしてきたのですが、東京山の手に生まれ、育った私は自分の方言を奪われてしまいました。博多弁と標準語とバイリンガルな人がうらやましいです。こうして、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」という表現の背後には、人をもののように扱う統制・抑圧社会への批判があるのです。

 

3. 技術革新

 3節には「れんがを作り、それをよく焼こう」「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた」とあります。いわゆる「技術革新」です。石の代わりに、規格品である煉瓦が用いられるようになります。子どもたちは「レゴ」が大好きですが、同じブロックから飛行機や怪獣や様々なものができます。企画商品は便利です。しかし、従来の日干し煉瓦から火を通して焼いた耐火煉瓦です。また、しっくいは日本では素晴らしい素材であるといわれてはいますが、アスファルトの方が強いのでしょうか。いろいろな建築が可能になりました。すると、人々は大きな塔を建てて権力を集中し、あたかも神のごとく、この世界の支配者として君臨しようとしたのでした。事実、考古学者の発見によると、バビロニアのシュメール文明(紀元前2800~2200年)の時代には「ジグラット」と呼ばれる90メートルほどの高層建築があった、その廃墟があったことがこのバベルの塔の物語の背後にあると言われているのです。

 日本の企業においても、指揮系統が明確で、効率よく仕事をするためには、「同じ言葉を使って、同じように話していた」ということになり、絶えざる技術革新が必要になります。しかし、それが行き過ぎると、「同じ言葉で号令一下、労働に駆り立てられるわけですから、民は抑圧され、窒息され、あるいは過労死となってしまう危険があります。これが技術革新に精出すことの裏面です。

 

4.主なる神は降ってこられた

 統制・抑圧の言語を用い、技術革新で効率ばかりを追求し、高慢になり、人を傷つけ、自分を傷つける人の姿を、主なる神はご覧になり、居ても立ってもおれずに、自ら降って来られたと語られています。そして、人々の間に再び個性、違いと多様性を喜ぶことができるように人々の言葉を「混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬように」されたと言うのです。イエス・キリストの十字架の出来事において神ご自身が私たちの所に降ってこられたのです。そして死者の中から甦らされ、天に高く挙げられたキリストは、聖霊において私たち一人ひとりに、教会の交わりの中に来て下さったのです。今度はこの喜びの音信を聴くことを、統一言語ではなく、それぞれ自分の故郷の言葉で聴き、語ることになったのです。

 

5.主なる神は降ってこられた

 

 統制・抑圧の言語を用い、技術革新で効率ばかりを追求し、高慢になり、人を傷つけ、自分を傷つける人の姿を、主なる神はご覧になり、居ても立ってもおれずに、自ら降って来られたと語られています。そして、人々の間に再び個性、違いと多様性を喜ぶことができるように人々の言葉を「混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬように」されたと言うのです。イエス・キリストの十字架の出来事において神ご自身が私たちの所に降ってこられたのです。そして死者の中から甦らされ、天に高く挙げられたキリストは、聖霊において私たち一人ひとりに、教会の交わりの中に来て下さったのです。今度はこの喜びの音信を聴くことを、統一言語ではなく、それぞれ自分の故郷の言葉で聴き、語ることになったのです。