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2015.9.2 「ヤコブとエサウの和解」 創世記33:1-20

1 ヤコブの思い

 今日の箇所はヤコブがエサウと再会し、和解をしていく場面です。ヤコブは二つの出会いをしました。この前の箇所ペヌエルで神と出会ったという出会い。そして今日の箇所でのエサウとの出会いです。ヤコブが本当の意味でエサウと和解をしたのか疑問が残るものでもありますが、だからこそでしょうか、和解とは何なのかを考えさせられます。「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。」(33:1-2)

 エサウは400人もの部下を連れてやってきました。20年前ヤコブは「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」(27:41)との言葉を聞いて逃げ出したのです。エサウが400人もの部下を連れてやってきたときに、ヤコブは細心の注意をはらい、エサウの攻撃があったときのための準備を行いました。ヤコブはラケルとその子ヨセフを最後に置きました。ここにはヤコブが最愛の者たちを守ろうとする意志と、エサウへの強い警戒心があらわされます。


2 先頭に立ったヤコブ

 「ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。」(33:3)

 これまでヤコブは最後方にいました。エサウとの再会においてヤコブには強い警戒心があらわされますが、ここで最後方にいた者が先頭に進み出て兄に出会うのです。この前の箇所では、ヤコブは先に家族や家畜も川を渡らせ、自分だけ残りました。ヤコブはエサウを恐れ、そこに立ち向かう勇気をもっていませんでした。そのため最後方でおびえ、恐怖の思いの中でどうするか考えていたのでしょう。そんなヤコブが神の使いとも、神ともいわれるものと出会うのです。ヤコブはこの者との格闘を通してイスラエルと変えられました。イスラエルとは「神、護りたもう」という意味を持ちます。ヤコブは神様に出会い、変えられました。「神様に護られている」者として歩みだしたのです。そしてそのとき、ヤコブは足を腿の関節を打たれ、歩くのに足を引きずる者とされたのです。ヤコブは弱さと欠点が目に見てわかる者であり、だからこそ神の護りを信じていきていくしかない者に変えられました。

 これまで自分の策略によって、兄エサウと父であるイサクをだまして長子の権利も祝福も奪い取ってきたヤコブです。そのうえで、ラバンにはだまされながらも、その知恵と策略を練ってなんとか逃げ出してきたのです。しかし、そんなヤコブにもエサウの怒りに対してどうすることもできないと感じていたのでしょう。だからこそ、最後方で悩んでいました。そしてヤコブは神様の護りを信じるしかない者と変えられたのです。ヤコブは神様を信じる者と変えられました。神様のもとに生きるヤコブの第一歩としてエサウとの再会、そして和解の出来事が待っていたのです。そこには、ヤコブが持ち合わせていなかった勇気が神様の護りがあるといううちに与えられていることを見るのです。


3 エサウとの和解

 ヤコブは進み出て、7回ひれ伏しエサウに出会います。そんなヤコブを迎えたエサウは首を抱えて口づけし、共に泣いたのでした。「首を抱えて口づけする」とは親愛の情を込めた挨拶の行為です。ヤコブとエサウの和解は成立しました。ただこの和解には疑問も残るのです。ヤコブは自分を「僕」といい、兄エサウを「ご主人さま」と呼びます。そして何度も贈り物を受け取るように勧めます。また「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。」(33:10)ともいうのです。「温かく迎えてくださった」エサウの赦しの行為を「神のような顔」というのです。また、エサウが「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」(12)と一緒に進もうとの誘いを、ヤコブは断ります。また部下何人かを残すことも断りました。ここにはヤコブの知恵を見ることができると同時に、この和解の涙はどこまで真実なものだったのか疑問も残るのではないでしょうか。ヤコブとエサウの和解は、疑問を伝えると同時に、人間と人間の和解には限界があることを教えているのではないでしょうか。

 ケンカをしてももう一度仲直りをすること、憎み合う中で赦しあうことは大切です。それでもそこに人間としての感情、感性の違いがあるのでしょう。だからこそ理解しえない部分もあるのだと思います。そのようなときに、万全の準備の中で、違いを理解しながらも受け入れられない部分もあることを、私たちは知ることも大切なのではないでしょうか。ヤコブとエサウは確かに和解をしたのです。それは、距離のある、完全に顔と顔を合わせて同じ道を歩く和解ではなかったのです。しかしまた、そんな違いを知り、和解することも大きな和解という出来事の一つだと感じるのです。

 「エサウは、その日セイルへの道を帰って行った。ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作った。そこで、その場所の名はスコト(小屋)と呼ばれている。ヤコブはこうして、パダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。(33:16-18)二人の歩き出した道は、緊張関係のある和解の道。人間として違う道を歩き出すための大切な和解であったのではないでしょうか。


4 礼拝

 「ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。」(19-20)

 100ケシタとはどれぐらいの金額なのか不明ですが、「小羊一頭分の値としてはかられた貴金属と考えられている」とあるように、それはとても大きな金額だったと考えられます。ヤコブはそこで神のための祭壇を築いて「エル・エロヘ・イスラエル」と呼びました。エサウの和解の出来事をヤコブは神様の導きの上にあったことと信じたのでしょう。この礼拝はヤコブの信仰を表します。神様によって護られて、この和解の出来事を行うことができたというヤコブの思いを表すのです。