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2015.8.16 「確かな希望をいただく」 マルコによる福音書12:35-37

1:  メシア像

 メシアとは、当時のユダヤの人々の言葉で「救い主」を指す言葉でした。ユダヤの人々は、自分たちを救ってくださる救い主を「メシア」と、求めていたのでした。

 当時の、ユダヤの人々はローマ帝国によって支配されていました。人々はこのローマの支配からの解放、そして救いを願って、神様に「メシア、救い主」を求めていたのです。ユダヤの人々は「ダビデの子」を、「メシア」として待望して待ち望んでいました。それは、政治的な解放者としての救い主でした。


2:  何に希望を向けているのか 

 聖書の当時の人々、ユダヤの人々は希望をもっていたのです。その希望は「ダビデの子」「救い主」の出現です。つまり政治的な解放でした。それは出エジプトの時のように、またバビロンの捕囚の時のように、神様の御手による解放の時がくると信じていたのです。

 この世界の中、今、私たちは何を希望として生きているでしょうか。私たちは、何を期待し、未来を明るいものとして、明日に希望を持って生きていくのでしょうか。そしてそれは、また、明日の未来を生きる子どもに、小さな子どもたちに、私たちは、どのような希望を語ることができるのでしょうか。


3:  十字架という希望

 私たちの主イエス・キリストは、この言葉を語られた後、十字架にかかられていくのです。主イエス・キリストは十字架の上に痛み、苦しみ、死んでいくのです。これは人間的に一番の絶望の姿、未来をなくした者の姿でしょう。しかし神様は、この十字架の上にこそ本当の希望があると教えるのです。

 十字架を信じる者にとって絶望は希望の始まりです。私たちが「もはや立ち上がることはできない」という時に、孤独とむなしさ、苦しみと絶望のうちにあるときに、神様は、十字架を示し、そこに神様ご自身がイエス・キリストとして、私たちと共にいてくださっていると教えるのです。


4:  復活という希望

 十字架の希望。それは神様を神様として、私たち人間が人間となる出来事です。そして、私たちには、更なる希望、復活の希望が与えられているのです。イエス・キリストは、十字架という絶望を打ち砕かれました。復活という希望を表されたのです。死に打ち勝たれ、罪を打ち破り、新しい命を生きて、私たちに生きる希望を、確かな希望を与えてくださったのです。


5:  確かな希望

 十字架と復活。この確かな希望によって、私たちは確信を持って喜び、生きるのです。平安の中に生きるのです。キリストによる確かな希望です。イエス・キリストに繋がって、希望のうちに生かされていきましょう。