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2014.9.7 「心に訴えるイエス・キリスト」 マルコによる福音書8:14-21

1:  忘れるということ

 今日の箇所において、まず記されていることは、弟子たちが、パンを忘れてしまったという出来事です。今日のこのパンを忘れて困った弟子たちの姿は、本当の意味でのパンの意味を忘れてしまった姿でしょう。つまり「命のパン」である主の存在です。「命のパン」である主が共におられるということを忘れた人間の姿、信仰を見失った姿が、まず今日の箇所において示されているのです。

 パンを忘れてしまったことによって、船には1つしかパンがないという状況の中でイエス様はこのようにいわれたのです。「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(8:15)

 パン種はパンを膨らませるものであり、象徴的に、「悪い思い」の中心であり、悪い思いを膨らませていくものとして教えられていました。つまり、何が本当のパンであり、信仰とは何なのかをもう一度思い出しなさいと注意されているのでしょう。

 

2:  生きる意味

 私たち人間は、自分自身の命を自分のものとして、自分で命をつくり、命を守り、成長させるものとしていきているのではないでしょうか。

 自分を探して、命の意味を求める中で、「なぜ生きるのか」「生きる目的」を探す中で、生きることが苦しくなってくる時があるのではないでしょうか。自分はなぜ生きているのか、このような自分がどうして今、こんな日々を生活しているのだろうかと。そんな風に思うことがあるのではないでしょうか。

 

3:  愛されて生きる

 パンを食べること、それはとても大切なことです。神様から与えられた体を大切にして、大切に管理し、食事をよろこんでいただいくことは人間の生きていく喜びの一つでしょう。そしてだからこそもう一つ大切にしたいことは、その体、いただいた恵みを用いて自分がどのように生きるか。神様に何を託されているのかということを覚えていたいと思います。

 神様は、私たちを愛してくださっています。そしてそこには、私たちが神様の愛をいただいて生きる事が望まれているのでしょう。

 

4:  まだ悟らないのかと訴える言葉

 イエス様は、弟子たちにむかって「まだ悟らないのか」といわれました。この問いかけは、これから向かう十字架の大切さを示す言葉でもあり、私たち一人ひとりの心に訴える、主の御言葉であります。私たちは主イエスに問われています。そしてそれは、むしろ十字架に向き合うこと、神様の愛に出会うことを願って呼び出されているのです。

 わたしたちの生きる意味、生きている理由は、キリストの愛の上にあるのです。私たちは、この主イエスの呼びかけを受けて生きていきたいと思います。