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2014.3.26 「選ばれた民」 創世記11:10-32

1.祝福と選び

 今日の聖書では、セムの系図から、テラの系図へと移っていきます。

 この箇所の前、10章の系図「ノアの子孫」を示す系図では、神様の祝福の御言葉「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という言葉のとおり、全世界へと広がっていった人間の姿を表す系図となっています。ノアの洪水の後、人間は神様に祝福されました。祝福のうちに広げられ、喜びを大きなものとしていったのです。

 今日の箇所11章では、人間の広がり、人類の繁殖から、対照的に、限定された系図に移り変わっていく、そのように見ることができるのです。神様は、すべての者に祝福を与えられました。そしてそのうちから、一つの民族、一つの民、一つの家族へと焦点をあてていきます。神様と人間の関係を表し、教えるために。神様は招きと選びの御業を示されました。神様の祝福の広がりから、神様の選びへと移り変わる、そんな内容への変化を教える箇所。それがこの11章の系図であり、セムからテラ、テラからアブラムへの系図です。

 

2.テラ一家の選び ( 創世記 11:27-32 )

 今日の箇所において、系図は「テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。」(26)と終わります。ここからはテラの系図というよりは、「テラ一家の選び」と言うことができる内容だと思います。

 テラは、カルデアのウルを出発して、カナンに向かいました。そしてハランという地に留まりました。テラのウルからハランへの旅は、北西に向かうユーフラテス川に沿った道でした。ハランとは「交差路」を意味して、実際に、多くの国と国、道と道の交差する、重要な場所でした。ハランは、肥沃な土地で、気候は温暖、緑もとても豊かな場所であったのです。テラはその場所、ハランに住み着いたのです。テラが住み着いたハランという都市の豊かさに対して、向かったテラ一家は貧しい者でした。

 実際「ウルを出発してカナンに向い、ハランに留まった」者は、「テラ」と「アブラム」そして「ロト」と「サライ」です。それは貧しい者を象徴したような者たちでした。「サライ」は不妊の女(11:30)、「ロト」は独り身だと考えられます。

 神様は、このような一家に「貧しさ」と「苦しみ」を表されたのです。そして神様は、むしろそのようなテラの一家を選ばれたのです。未来に希望のもてない、将来が見ることができない、そんな一家、そのような系図の向かうところに神様の御業が働かれることを・・・ここから教えられるのです。神様の招きは、このような者へと向けられているのです。 

 

3.アブラムの召命

 このあと聖書は12章「アブラムの召命」に続きます。テラ一家から、アブラムが召しだされていきます。アブラムはアブラハムとなり、サライはサラとされます。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた」(15:6)アブラハムは神様を信じて、その信仰によって神様にその義を認められた。イスラエルでは「信仰の父」と呼ばれる者となります。サラは、不妊の女とされた者でありました。しかし、そこから「イサク」が与えられます。そして、イスラエルの民が続くのです。

 神様は、貧しい者を豊かにされます。今、私たちは、どれほど貧しくても、主イエス・キリストによって豊かにされるのです。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(Ⅱコリント8:9)

 わたしたちが信じる信仰とは、主イエス・キリストが、私たちのために貧しくなられたこと、私たちのために罪を背負われたという十字架の出来事を信じることです。そしてまた、同様に、イエス・キリストが復活された、その恵みがわたしたちを豊かにしてくださっているということを信じて、受け取ることでしょう。わたしたちは、イエス・キリストを通して、神様と向かいあうことが許された者です。イエス・キリストを通して、招かれているのです。このイエス・キリストの祈りと導きを受け取り、神様に向かって歩んでいきたいと思います。