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2014.1.19 「聞くために語られている御言葉~神の秤をもって聞く~」 マルコ4:21-25

1:  ともし火 御言葉

 今日の箇所で語られる「ともし火」。それは暗いところ、闇を照らす光として燭台の上に置くために来ると語られています。「ともし火」とは福音の御言葉を意味します。イエス様は「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語られました。この福音の芯「ともし火」でいえば、その灯心ともいえるのが「イエス・キリスト」ご自身でしょう。イエス様は福音を宣べ伝えられたのです。それは、燭台の上に置かれるために来られました。神様の御言葉は私たちに光を与えます。

 

2:  暗闇

 現代は夜も明るい場所が多くなりました。だからこそ、私たちは闇があること自体を忘れていないでしょうか。光の大切さも、イエス・キリストの御言葉の大切さも忘れていないでしょうか。本当の暗闇、心の闇、社会の暗闇は、そんなところにやってくるのだと思います

 私たちは、神様の福音、イエス・キリストを、御言葉をどのように聞くのでしょうか。わたしたちは、「ともし火」が必要ではない。イエス・キリストの語る福音「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という福音は、自分には関係ないと思っていないでしょうか。「ともし火」は升の下においておこうと、とりあえず下においておこうと思っていないでしょうか。升の下、寝台の下においても大丈夫だと思う。そんな心の中に、本当の闇、暗闇の心が始まっているのではないでしょうか。

 

3:  自分の秤から神の秤へ 

 わたしたちがほしいものは、私たちの秤、物差しに完全にぴったり合わさるものではないでしょうか。わたしたちの心の入れ物を完全に満たすものが、私たちの神様になるのかもしれません。これが人間の量る秤、人間の物差しです。

 そして、こんな私たちに、イエス様は「あなたたちは、何を聞いているのか、注意しなさい。」と、問いかけているのです。「あなたは自分が欲しい神様を求めていないでしょうか」。「神様を、自分の秤で量っていないでしょうか」。「自分が神様になっていないでしょうか」と。

 悔い改めるとは、まったくの方向転換を意味します。それは、自分の秤、自分の入れ物に神様を求めて、その中に神様を押し入れようとしていた自分が、神様の秤、神様の御言葉に来てくださいと、変えられることです。自分の心の中心に、自分が立っていた。自分が神様として座っていた。その中心に、本当の神様に来ていただく。神様に心の中心に来ていただくことが、本当の悔い改めです。

 

4:  持っている者は さらに与えられる

 私たちは、悔い改めるときに、すべての者が「持っている者」とされます。神様の愛を注がれている者、主の御言葉を心に受けている者です。悔い改め、主の御言葉を受けるときに、わたしたちはさらに、いつまでも、与え続けられます。

 神様の御言葉、その愛は尽きることのないものです。決して渇かない水。永遠に湧き出る泉です。神様は、そのような愛の物差し、どこまでも、どこまでも、わたしたちを愛してくださる方としていてくださる方です。どこまでも、私たちを光で照らしてくださる方。愛を注ぎ続けてくださる方です。だからこそ、わたしたちは、「聞く耳のある者として、聞き続けていきたい」と思います。