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2013.12.25 「心に留められた神様」 創世記8:1-12

1.      御心に留められる ( 創世記 8:1 )

 「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」(1)

 「御心に留める」。それは「考える、思い起こす、覚えている、配慮する、考慮する」などという意味があります。

 「御心に留める」という言葉、その一つに「思い起こす」という言葉としての意味があります。神様に背き、離れた者を、神様が「思い起こす」という言葉でしょう。神様は「思い起こされる」のです。今日の箇所においても、洪水、混沌の中にあって、神様はノアを思い起こされました。

 

 聖書ではいろいろな場面で使われる「神が御心に留める」という言葉ですが、ほかの箇所では、このような箇所でも使われています。

 「サムソンは主に祈って言った。『わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。』」(士師記16章28節)

 「エフライムはわたしのかけがえのない息子、喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびに、わたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴り、わたしは彼を憐れまずにはいられないと、主は言われる。」(エレミヤ31章20節)

 神様はわたしたち人間を思い起こし、御心に留められます。それはまず神様が自ら主体的に人間に眼差しを向けてくださったことを表します。

 神様はわたしたち人間を御心に留め、思い起こされるのです。それは「洪水」「荒波」「混沌」の中にあって、私たち自身はもはや抜け出すことのできないと思う中にあっても、神様が、私たちを御心に留めて、そこから救い出してくださることを示しています。

 神様は、ノア、そして、箱船にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留められました。すべてを引き離してしまうであろう「混沌」、私たちの目の前にある「苦しみ」「困難」の中にあって、神様は被造物とのかかわりから離れることはありませんでした。神様は心に留められ、思い起こし、被造物とのかかわりを続けられたのです。

 これこそ神様の深い憐み、思い起こされた出来事です。

 

2.      新しい創造 少しずつ減った水 ( 創世記 8:1-5 )

 神様は、地の上に風を吹かせます。神様の新しい創造の始まりです。水は減りはじめ、深淵の源と天の窓は閉じられました。ここに神様からの新しい創造が始まることが教えられます。

 水は少しずつ減り、箱船はアララト山(約5000メートル)の上、頂きに着地しました。アララト山とは、文字としてはアララトの山々。トルコ・アルメニア国境の高原地帯。そこにアララト山を含むアララトの山々が聳えている。

 

 水は突然なくなったのでもなく、この地上から消え去ったのでもなかった。少しずつ減少していったために箱船は、高い山の上に着地した。主の風が吹き、聖霊が動かれて水が減り始めました。そして深淵の窓が閉じ、雨は降りやみ、水が引いていったのです。水がますます減っていったのです。

 ここに、主の御業、聖霊の導きを教えられます。「うさぎとかめ」の「カメ」ではないけれど、聖霊の導きは、突然なもの、突発的なものが本質ではないのだと思います。ゆっくりと、そしてしっかりとした導き。人生の困難を乗り越えるために与えられた、主の導きは、少しずつ、御言葉が心の源となって生きていくのでしょう。

 

3.      カラスと鳩 ( 創世記 8:6-12 )

 ノアは窓を開きます。外でこれまでしていた雨の音がやみ、窓を開くことが許されている。そんな思いで窓を開いたのでしょう。ノアはカラスを放します。古代、地中海を航海するときに、カラスが羅針盤の役割を果たしていました。

 次にノアは鳩を放します。水が引いたかどうか確かめようとしました。鳩は、地上から水が引いたかどうかを確かめに出かけていきます。1回目、鳩は、止まる場所が見つからなかったので帰ってきました。鳩は、足を休める場所がありませんでした。2回目、鳩はオリーブの葉をくわえて帰ってきました。3回目、鳩はもはや帰ってこなかったのです。

 

 ここにも、回復への希望、神様の導きがイメージされているのです。最初、鳩は足を休める場所もなかったのです。世界は水に覆われていました。混沌に包まれ、ひと時も休むことができない私たちの社会の状態、関係の状態、心の状態を表しているのでしょう。そとに出れば、休むことはできないのです。それが、2回目、そこにはオリーブの葉がありました。木が根付いて、葉が咲き始めていることを表しているのです。箱船からは見えなくても、確実に水は引いたのです。

 3回目。もはや鳩は帰ってきませんでした。「水」、混沌の中にあって、神様が御心を留められた時。その混沌は、神様による安心、平安へと変えられたのでしょう。だからこそ、もはやどこにでも出ていくことができるのでしょう。

 混沌からの回復。神様は、しっかりと人生を困難から、導いてくださる恵みが教えられます。そこに主が共におられることが教えられます。これはまさに「希望」の出来事です。

 ここにも、しっかりとした神様の導きが教えられます。1回、2回、3回としっかりと回復する地上。神様のしっかりとした回復への導きが教えられているのです。

 「混沌」、苦しみの中にあっても主が御心に留めてくださる。そして、共にいてくださるのです。主である神様が、私たちを思い起こして、受け止めてくださるのです。

 

 神様の導かれる道。その先はまだ見えていません。今は困難、混沌の中にあり、その先は見えていないかもしれないのです。しかし、主は私たちをしっかりと導いて下さっています。私たちは、主に委ねて、出ていきましょう。