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2013.6.23 「宣べ伝えるために来た」 マルコによる福音書1:29-39

序:  イエス様の姿

 イエス様の三つの姿、癒しの姿、祈りの姿、そして宣教に向かうイエス様の姿が記されています。イエス様は、今日の箇所において、癒す者から、宣べ伝えられる者へとなられていきました。

 

1:  共にいてくださる

 みなさんはとても高熱の、熱病になったことがあるでしょうか。わたしは中国の田舎で一人ぼっちで寝込んだことがあります。だれに相談しようと思っても、周りは知らない中国人ばかり。そのときは熱で苦しいこともそうですが、一番辛いのは、孤独で不安であったことでした。「だれが助けてくれるのだろう」ととても不安でした。

今日の箇所では、兄弟姉妹が求める祈りによってイエス様が来てくださいました。

 このときのしゅうとめの喜びは、イエス様が来てくださったこともそうですが。同時に、この兄弟姉妹、また義理息子シモンの祈りであったのではないでしょうか。イエス様はしゅうとめのところに来られました。私たちが孤独の時、不安の時。一番近くにいてくださる方、それはイエス・キリストなのです。

 

2:  祈りの時間

イエス様は祈りに向かわれました。イエス様は、祈りの時間を作られました。

わたしたちは祈りの時間を作っているでしょうか。自分のために、自分が神様と向かい合うために祈っているでしょうか。兄弟姉妹の病が癒されますようにと。「苦しみ」や「孤独」に「平安」が与えられるようにと。わたしたちは祈っているでしょうか。皆さんは兄弟姉妹のために、祈る時間をつくり、祈っているでしょうか。

イエス・キリストは、私たち一人一人のために、時間を作り、時間をとり、祈ってくださっているのです。

 

3:  宣べ伝えるために

「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(38)

イエス・キリストは、だれか一人の主としてとどまり終わるのではなく、世界のすべての人間の救い主として来られました。それが神様の愛です。

神様は、愛を示すために、イエス・キリストを歩ませ続けて、最後には、十字架の苦しみに向けられ、そして最後はその上での死にまで歩ませたのです。キリストの十字架は、すべての人間のために与えられた十字架、すべての人間と共にいることを示された十字架です。私たちは、そのことを知り、そのために、共に祈って、宣べ伝えていきたいと思います。