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2013.6.12 「良しとされる」 創世記1:6-13

 

1.      天の創造 ( 創世記 1:6-8 )

 

第2の日、神様は「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」と言われました。神様は御言葉によって、天を創造されました。キリスト教において「天」は神様の造られた被造物です。昔は、「天」「大空」と言えばドームのような形をしていて、それが水と水を分けて、その門が開き、水が流れるときに雨が降ると考えられていました。

「天」を神様が御言葉によって創造されたのです。

私たち日本人だけではないと思いますが、多くの人間の考えでは、「天」と「地」の偉大さにそれらを神様とすることが多いのだと思います。創世記、天地の創造では、それらを越えて、神様が「天」を創造されたと語ります。どれほど偉大でも、すばらしく、大きくても、人間の目に見える形あるもの、物体、物質、いずれ滅びるものは、決して神様ではないことを教えています。それらは本当の神様によって造られたもの、被造物です。

神様は、その一つ一つを御言葉によって創造されました。その偉大さは、創造主が偉大だから、創造主の偉大な創造の出来事を表したのが「天」であり「地」であり「海」であったのです。

 

2.      神様の「良し」する創造 ( 創世記 1:9-10 )

 

神様は乾いたところ「地」と、「水」の集まったところ「海」を造られました。そして、ここにおいて「良し」とされたのです。

ここで、神様は「水」の状態、「カオス」「混沌」という状態に「秩序」を与え「地」を造られたのです。神様は「混沌」に「秩序」を与え、「地」を造りだされたのです。神様の御業、その創造の業は「秩序」と「混沌」を区別することでした。それが、神様の「良し」とされる創造でした。

 

私たちは、悪いものすべて消し去り、無くならせることを考えます。そこに「争い」が起こります。私たちにとって悪いもの。それは自分の「価値観」の中において悪いものではないでしょうか。つまり、「価値観」の違いによる「争い」が起こるのです。

神様は「混沌」に「秩序」を与え、そこに「区別」を造られたのです。神様の「良し」とされる創造は、「違うもの」を消し去ることではなく、「区別」することでした。私たちも、今一度、何を「良し」とするのか、考える必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

3.      神様の造られた自然 ( 創世記 1:11-13 )

 

神様は言いました。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」(11)

今回気づいたことですが、神様は、大地に「草を芽生えさせなさい」と命令したのだと。神様が被造物にさまざまな関係性を与えていること、人間と動物、植物の関連性も、また動物と植物にも、植物と大地にも、それぞれに与えられた関係、つながり、その連鎖の中で生かされていることが、ここに記されているのだと。

神様が人間に命を与えている。それは、ここに大地を創造して、そこから始まったということが記されているのだと教えられました。

 

しかしまた、人間は、どれほど大地を、自然を、神様の造られた、その関連性を壊してきたのでしょうか。神様の造られた大地を、海を、そして植物を、動物を、どれだけ破壊してきたのでしょうか。そこから自分たちが創造されてきたことも、そこから命を与えられていることも知らずに。半分はわかっていたのかもしれませんが。それでも欲望によって、すべてを破壊し続けてきたのです。

私たちは、すべてのものを神様の造られたものとして、受け取っているでしょうか。食べること、飲むこと、すべてにおいて、私たちは神様の造られたものをいただく信仰をもって、いただいているでしょうか。

自分勝手に生きる自分を見つめるときに、私たちは自分の中にある罪を教えられるのです。

 

4.      新しい創造 

 

神様は、そのような私たちに神様の新しい創造をなされたのです。それがキリストによる十字架と復活です。私たちのそれほどの罪のために、イエス・キリストが十字架にかかり、その肉を裂かれたのです。そして私たち一人ひとりが「良し」とされるためにキリストが復活され、新しく私たちを造り変えてくださったのです。

私たちは、いつも、このキリストの十字架と復活を覚えて歩んでいきましょう。